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戸上電機製作所本館は建築様式やデザインに工夫が凝らされており、木造3階建ての貴重な建造物である。
瀬頭酒造は、古くから酒造りに従事し、歴史ある蔵を多く残している。創業以来、数々の賞を受賞しており、今も地域とともに上質な酒造りに取り組んでいる。
松蔭神社は、鹿島藩主が先祖を祀る神社として始まった。近代に神苑が整備され、地域に開かれた神社となっている。春には、鍋島直彬が観桜の宴を催したことが由来の桜まつりが、今なお毎年行われている。
志田の蔵は木造切妻造妻入瓦葺2階建。大正時代に志田焼火鉢等の大物磁器を保管する倉庫として建てられたもので、頑丈な梁に支えられている。蔵の一部は現在、焼き物や和雑貨の販売に利用されている。
通り蔵は大正9年に、本蔵は昭和2年に建設され、いずれも木造2階建て寄棟造で桟瓦葺、下見板張り構造を持つ。ほかに洗い場及び釜場、モトクラ、ムロマエ、旧麹室、煙突から成る。酒蔵南方からの眺めは佐賀の田園風景…
佐賀県内では初期の本格的な鉄筋コンクリート建造物である。正面ファサード部分は左右対称を基調とし、疑似ドリス式のふくらみのあるペアコラムを持つ半円形の車寄せなど、曲線的な構成が特徴である。大正15年に着…
標高1,055mの脊振山頂に位置する、石造りの石宝殿と、石灯籠群、石鳥居、石門、玉垣・石段から構成される遺産である。石宝殿は花崗岩を材質とし、屋根頂部の露盤と前面の扉には鍋島家の杏葉の紋が施されている。内部…
山田区は脊振山系東南部に属する中山間地域であり、みやき町の最北部に位置する。最高峰の石谷山(754m)を中心に、県境伝いに九千部山(847m)に連なっており、南南東に向かって直線状の谷が開け、中央を寒水川が流…
赤煉瓦造りでイギリス積み構造。出入り口のまぐさ、窓のまぐさ及び窓台に見付幅の大きい(18cm程)花崗岩を用い、意匠的にも特徴となっている。小屋組は鉄骨トラス構造である。屋根は近年改修されており、スレート…
中世の山代や館に関わる遺跡が5カ所確認され、松浦党の歴史を色濃く残す。里小路は、明治期の地籍図では、中央の小路に沿って、40箇所ほどの宅地が整然と並んでおり、その大半が長方形の敷地割を基調としている。ま…
店舗兼主屋は木造2階建、桟瓦葺の建物で、中央2階建の旧質屋兼住宅、北側2階建の旧台所、増築による南側平屋建の離れの3つにより構成される。旧質屋兼住宅は当初大壁漆喰塗の外観であったが、昭和前期以前に正面庇…
広大な屋敷の北側に前庭と主屋を置き、ほぼ中央に昭和初期増築の建物と泉水式の庭園を並べる。主屋は茅葺き寄棟造りで、三方に棟が折れ、正面の棟に式台玄関が取り付く。全体的に立ちが低く、四方に下屋が巡らされ…
主屋、土蔵、茶室、石橋、堀、正門から構成される。主屋は、座敷が高く、特に18畳と12畳境の巨大な透かし彫り中央格子入りの欄間が見事である。土蔵は、妻面トタン張り(元々は漆喰)、外壁白漆喰塗り仕上げであり…
本堂、山門、墓所から構成される。本堂は、元は草葺寄棟造であったが、平成12年に寄棟造本瓦葺に改修を行った。間取りは方丈型平面で、柱は角柱で内法長押で固められている。山門は、2階建ての門で、2階部分には高…
神社参道から石階段を登ったところには、中央に「荒穂宮」の額が揚げられ、元禄2(1689)年建造の明神鳥居があり、神社の入り口であることを示している。その正面奥には装飾性豊かな本殿が位置し、安政2(1855)年建…
大興善寺には小松集落を南北に伸びる参道の最奥部の左右につつじを植栽した長い傾斜のある石段があり、その最上部の境内入口にあたる場所に江戸時代中の部材を使用した19世紀末頃建築の仁王門が聳え建っている。こ…
石動地区は、田手川の扇状地に位置し、農地が広がっている。下石動地区は、弥生時代から、鎌倉時代の集落跡が確認されており、現在の集落の下に広がっていると推定される。下石動天満宮と集落は田手川の氾濫を避け…
大魚神社は地図上で見ると、いにしえより信仰の山と崇められてきた「多良岳」と、物語の舞台となった沖ノ島を結ぶ直線状に配置されており、太良町の主産業である農業と漁業(山と海)が相互に関連しているという自…
大正12年(1923)に当時は珍しい木造3階建てに建て替えられ、増築は数回行われたものの、内観、外観とも当時の様相を残しており、歴史的な佇まいを今に引き継いでいる。玄関や2階の上り口には松の大板、2階・3階の廊…
木造2階建て、桟瓦葺き、寄棟造りの構造形式で、1階が住宅、2階が診療所として使用されていたが、2階へと続く階段は2か所設けられており、患者と家族の動線を分けていた。2階に診療所を設けたのは、明るい陽光を確保…
明治以前と考えられる第一蔵は、東西に大棟をのせる入母屋妻入り木造二階建て桟瓦葺き。検査室、第二蔵と渡り廊下を介し接続する。第二蔵は、貯蔵室2棟、麹室1棟にからなり、棟続きである。他にも醸造工程に合わせ…
駅舎の建物は木造真壁造り平屋建て、屋根は寄棟造り、桟瓦葺きである。上屋は桁行51尺、梁間21尺、6尺の下屋を四周に廻し、ている。駅舎は改変が繰り返されているが、当初の平面は、上屋筋の東側から2間、中央入り口…
建物の南側に質屋を北側に住居を配する。質屋部分1階は帳場、2階は質蔵である。住宅部分は1階2階共に床の間を持つ和室で構成されている。1階の窓は雨戸溝の外側に細かい縦格子を連続させ、2階の壁や戸袋はモルタル塗…
建物は本館と洋館からなる。本館は、昭和初期から増改築が行われているが、1階の玄関、浦島の間、3階の一部に当初の姿が残る。木造3階建てで規模は大きく、書院造りを基本としながら、和風建築の玄関脇に洋風の応接…
白壁の土塀に門扉があり、主屋、納屋で構成される。主屋は明治中期に上質な材料を用いて建築されたと推定される。入母屋造妻入り、土蔵造り、本瓦葺き(現存の本瓦葺きは東側のみ)。街道に面する妻側には、桟瓦葺…
当地の敷地は旧道をはさみ、南北に分かれる。北側の旧道正面に明治前期の主屋、その北側に渡り廊下でつながる離れ座敷がある。主屋北側には、以前釜屋に付随していた旧蔵人用炊事場煙突が残る。敷地中央には、水神…
敷地に広がる建築群は、居宅と北土蔵、南土蔵から構成されている。居宅は妻入りの平屋建て、屋根は入母屋造桟瓦葺き。明治前期の建築で、その後大規模な改造が行われたと考えられている。長崎街道に面して建つ北土…
主屋、離れ、旧精米所、東蔵、中蔵、西蔵、麹室から構成される。主屋は明治37年(1904)建築で、入母屋造妻入り、その南側に土間を介して切妻造平入りの旧精米所ある。主屋西側に渡り廊下を介し2階建て入母屋造妻入…
玄海国定公園に指定されている風光明媚な佐賀県北部の東松浦半島を周回する国道204号線の一角に玄海町浜野浦地区は位置する。 浜野浦の棚田は面積11.5haの中に大小283枚の田んぼが階段のように幾重にも連なって海岸に…
表棟・中棟・奥棟からなる主屋と釜屋をもち、外観は土壁と漆喰で仕上げた土蔵造りである。一部二階建てであり、通りに面した下屋庇を大きな持ち送りで支えている。表棟と直行する棟木は、表棟の棟木よりも高く通さ…
伝統的町家建築の空間構成を銀行業務に対応させた草創期の銀行らしい建築構造等に大きな特色がある。一階正面外観に丸みを帯びた繰型窓を設け、外側に鉄格子を付して閉鎖的な表構えを呈する点、また、二階へ至る大…
主屋は、敷地のほぼ中央に建つ。表座敷の床構えはその当時の特色をよく伝え、土蔵造の厨房と付属の座敷も同時期の建設と見られる。屋根は入母屋造り桟瓦葺き、南側正面に独立した入母屋造の玄関棟が取り付き、北側…
旧古賀銀行の建築は創建後に数度にわたってその用途が変わり、その建築自身の中に改造の歴史を残している。現在は大正5年(1916)当時の姿に復元されており、その際設計を行ったのは、旧古賀銀行神埼支店も設計した…
明治後期から大正期にかけて建設された上流の和風住宅は、江戸期に完成した伝統的建築技術の粋を集めて建設されたもので、一般に和風建築の技術と芸術が頂点を極めた時期の建設とみなされ、ことに完成度の高い多様…
棟札から、設計は杵島炭鉱技師の大坪彌平、棟梁は舩津虎五郎であることが判明している。木造平屋建て、入母屋造りで、屋根は照り屋根。入母屋破風の背面は木蓮格子になっている。16畳3室の四周に縁を回し、北面の中…
白石町の西部、川津地区の中央に、約0.6ヘクタールの縫ノ池がある。池の中央には古くから地区住民が信仰してきた弁天さま(現在は市杵嶋姫命)を祀る厳島神社がある。 古くから「弁天の池」と呼ばれていたが、約500年前…
洋風外観の総2階建ての木造建築物である。西側に面する正面中央に花崗岩の円柱に支えられたペディメントの玄関をとり、左右対称のファサードを持つ。屋根は、桟瓦葺き寄棟造りで、正面中央に半円形のドーマーウイ…
東面入母屋造妻入り、南も入母屋造とする。 いずれも桟瓦葺であるが、西面納屋と「座敷」境の「仏間」上のみ本瓦葺である。部屋の間取りは、潜り戸を持つ玄関に土間が続き、左側に「前の間」、「茶の間」、「納戸…
鳥栖市の北西部に立地する。峠を介して福岡県那珂川町と接しており、かつてはこの峠を越えて鳥栖方面に向かう「わさび売り」などの中継点でもあった。江戸時代は対馬藩田代領(飛地領)で、山の神、海の神のでもあ…
シチメンソウは、生長の過程で色の変化がみられ、秋には全体が鮮やかな紅紫色となる。 シチメンソウヤードの南には、広大な干潟・有明海が広がり、その先に雲仙普賢岳を見ることができ、又、北には豊かな佐賀平野…
柳町の中程に北面して建つ。主屋間口は5間余り、建物の西側部分は土蔵造りであり、1階の主屋との間は南側の裏十間川へ通り抜ける通路となっている。外観は、屋根をT字に造り、大棟の妻壁を大きく見せ、その下の表の…
小城は、古い歴史を誇る佐賀平野の静かな城下町で、各所には社寺や史跡が点在し、桜の名所として知られる小城公園、源氏ぼたるが乱舞する祇園川などがあり、小京都として、また花と水とホタルの里として親しまれて…
かつて藩窯として栄えた大川内山は、御用窯に関連する登り窯跡、御細工場跡、藩役宅跡などが遺構として広範囲に残っており、当時の藩窯の制度や工人達の生活ぶりを知る資料として学術的価値が高い。また、その伝統…
捕鯨業を営んだ中尾家の町屋建築遺構で、天保11年(1840)刊行の「小川島鯨鯢合戦」に収めてある中尾家宅鳥瞰図として描かれている。主屋は住宅機能を持つ北棟と社屋機能を担った南棟からなる。九州では最古の部類に…
式台玄関をもつ土蔵造、桟瓦葺きの平入りの主屋と、土間を介してつながる桟瓦葺き総二階建ての座蔵(一階が倉庫で二階に座敷)からなる。土蔵造平入りの主屋の式台玄関と表座敷、前庭からなる接客の空間や、土間入…
半切妻造妻入りの平屋の学校建築である。教室棟の西側桁行8間分は、地区の公民館として改修された時期に取り壊し、現在は、当時の名称で「唱歌裁縫室」、「校務室」、「教室」の約半室分に相当する部屋が残ってい…
主屋は、北面を開口する一部2階建てのくど造り草葺き屋根である。1階は、東側に通り土間を設け、3列の部屋が並ぶ。南面中央に式台、隣に脇玄関を設けている。南面する表空間は西から10畳の座敷、8畳の次の間、6畳和…
煉瓦造り地下1階地上二階建ての建物。外壁は、赤レンガ調タイルと白御影石とのコントラスト、屋根の上の小塔やドーム、アーチ窓、御影石バルコニー、歯飾付き銅板製の三角屏風など「辰野様式」の外観を色濃く残し…
主屋の屋根は、寄棟造り茅葺きの上屋を桟瓦葺きの下屋が巡る形式である。既に解体された茶室部分も含めると、建物全体の屋根型はエの字になる。外壁は、道路に接する面に腰高の竪板をはめ、上部を漆喰で塗込めてい…
個々の建造物の特徴というより、建造物群全体、用具備品などを含めて貴重な産業遺構である。土づくりから成形、絵付け、焼成までの各工程が一つの工場内で、しかも大規模に行われていた事例は全国的にも稀である。…
5間(9m)四方で、周囲に高さ1.7~3.4mの石垣が積まれ、内部は高さ約4mの盛土による築山である。長崎街道で現在唯一確認されている一里塚で、重要性が高く、往時の一里塚の姿を良好に残している。頂部には、いぼ地蔵が…
仁王門は、仁比山神社参道の入口に位置しており、本来この地にあった仁比山護国寺の山門であったと位置付けられる。現在の仁王門は、江戸時代に建設され、3間1戸の八脚門の特徴を持つ。門に向かって右に阿形、左に…
羊羹資料館は、木造寄棟屋根の和風建築であるが、ファサード(正面)は煉瓦とタイルによる洋風の意匠となっており、その特徴的な外観は広く親しまれている。また、昭和35年(1960)に建てられた本店は、当時としては…
主屋は江戸時代末期の建築と推定される。主屋と土蔵が渡り廊下でつながる。外観は真壁で、二階両端の戸袋を白漆喰で塗り込めている。一階出入口の大戸が失われているものの、縦格子が三間にわたって付き、町家らし…
昭和13年(1938)に建築された切妻屋根の小さな木造教会で、教会堂の東面にホール及び牧師館が雁行型状に接続し、一体的に構成される。教会堂は、背面の妻壁に祭壇が円形状に張り出す独特の外観をしている。窓は全て…
明治蔵及び大正蔵は、桁行8間、梁間3間、三重梁構造の明治蔵の北及び東に大正蔵がU字状に増築され、全体として桁行30間、梁間12間の大規模酒蔵となる。天山山系を背景とした大きな白壁漆喰の酒蔵群は特徴ある景観を…
主屋は江戸後期(推定)の良質な町屋建築で、外観は塗り込めで木部を殆ど見せない。煉瓦造の煙突は造り酒屋の存在を知らしめるシンボルとなっている。この他、大正期から昭和初期に建てられた、離れ・昭和西蔵・昭…
内部は繊細な数奇屋風の意匠にまとめた木造建築物で、建築面積410平方メートル。式台付きの玄関を中央に配置し、大きく南側に座敷棟、北側に居室棟を配し、畳廊下でつないでいる。また、南棟の広間の脇には茶室を設…
赤レンガ造りで、オランダ積み構造。出入口や窓には花崗岩を用いている。妻中央に付く空気孔は、4個の花崗岩とレンガを交互に積み、円形を造り鉄格子を入れる。鉄扉にはアールヌーボー風の装飾を行なっている。屋…
往還の北側に位置する主屋は、明治14年(1881)建設の入母屋造妻入りの建物だが、痕跡から元は切妻造であったことが分かる。一階は出入口に跳ね上げの大戸、土間正面のその他は摺り上げ戸で、座敷正面は出格子を付け…
主屋、仕込み蔵、西蔵、麹室、土蔵から構成される。往還の南側に、明治18年(1885)に建築された入母屋造妻入り塗屋造の主屋がある。現在は、切妻造土蔵造りの離れ座敷と一体化している。2階の表構えは連窓の形式で、…
主屋、西の蔵、東の蔵、北の蔵、薪小屋、水車小屋から構成される。主屋は敷地のほぼ中央にあり、正面27.246m、側面18.824m、寄棟造茅葺き、一部二階建てで、天明4年(1784)の建築と推定されている。南を正面とした多間…
江戸時代後期の文政8年(1825)頃に建てられた妻入り二階建ての陶器商家である。建物は、間口3間(5.519m)・奥行8間(14.843m)で、いわゆる「うなぎの寝床」状に細長い。屋根は切妻造りの本瓦葺で、棟を南北にとる。外観…
18世紀末から19世紀初期の建築と推定され、表の腕木門も同時期と考えられる。表構えは土蔵造りで、開口部がなかった点や腕木門を構える点を除き、他の町家とさして変わらない。平面には、表口から裏口に抜ける通り…
昭和5年(1930)に主屋の裏手の部分は建て替えられているが,道路側から見える店部分と北側の座敷は当時の姿を残しており、風格ある屋敷構えを見せている。店は、中二階建て間口9間であり、屋根は平入り切妻造本瓦葺…