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現代につながる国の骨格を創った 江藤新平復権プロジェクト

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   続きまして、現代につながる国の骨格を創った江藤新平復権プロジェクトについてお話をさせていただきたいと思います。

 まず、トピックスなんですが、この前の1月18日、19日に大学共通テスト(地理歴史)の設問に佐賀が登場いたしまして、簡単に問いを抜粋してみたんですが、1873年のウィーン万博に参加した佐野常民は、何の改良について報告書を作成したのかということで、こういう問いがありました。ここに蚕業織場と書いてあるので、これはヒントになっているんじゃないかと私は思ったわけですが、正解はこういうもので、どちらかというとヒント満載の問題なのかと思います。

 こちらのほうは、政府で鉄道の開通を主導したのは、工部省か内務省どっちかな、日本で最初に鉄道が開業したのはどこと横浜の間かな、佐賀県政記者クラブの皆さんなら分かっていらっしゃると信じたいのですが、こういう選択肢の問題がありまして、正解はこういうことで、大隈重信が。

特に、この問題は、高輪ゲートウェイ駅ができたときに佐賀県では非常に大きな話題となりまして、そういったことがトピックスとして出てくるというのはうれしい限りで、そのほかにも歴史総合、日本史探求森永太一郎が創業した森永製菓に関する出題もございまして、我々が文化ということに関して最近様々な活動をしていることがこうやって歴史学者とか社会の先生とか、いろんな皆さんに伝わったと信じたいのですが、こうやっていろんなところで佐賀の題材が試験問題になっていくというのは、明治維新150年からの取組の成果かなと大変喜んでおる次第でございます。

 改めて説明させていただきますと、明治の初めに至るまで、幕末ですね、佐賀藩は日本で初めて大砲や蒸気船の建造ができたりということで、科学技術立県であったわけであります。

 そのほかにも、天然痘のワクチンを普及させたりというような医学の中心を担ったわけでありまして、様々な偉人が明治にかけて出てきたわけですが、特に今回のターゲットである江藤新平は近代日本の礎を築く非常に大きな役割を果たした。佐賀県が誕生した後、御案内のとおりです。佐賀戦争で江藤新平、島義勇らが処刑されて、2年後に佐賀県が廃止されたという非常に佐賀県民にとって痛々しい歴史があって、そこから7年たって佐賀県が分離独立したということで、宮崎、富山とともに佐賀県は最後にできた県。こんなに伝統ある、言うなれば、四本柱の一つであって、この国の礎をつくったにもかかわらず、佐賀戦争でお取り潰しになった後、非常に厳しい憂き目に遭ったということが、ある部分、今の佐賀につながっているところもあるのかなと思って、佐賀県がこれから誇りを取り戻すためには、こういった復権ということについても頑張っていきたいなと思ったわけです。

 もう一つ言えば、明治維新150年という年を私が知事になった3年目に迎えるわけですけれども、山口県、鹿児島県、高知県は明治維新150年のイベントがあったんですけど、佐賀県は何も用意がされていなくて、いや、むしろ佐賀だからこそ、何で薩長土肥に肥前が入っているんだと。佐賀人自体がよく分かっていないところがあったので、むしろ明治維新150年は佐賀だからこそやるべきだということで、「肥前さが幕末維新博覧会」を行うことにしました。大変好評だったんですけれども、その辺りからずっとこの明治に向けての我々のプロジェクトというのは、高輪築堤だとか、モニュメントだとか、様々な形でやっておりまして、いよいよ今、江藤新平の復権プロジェクトに取りかかっていて、佐賀県政150年の令和15年には真の復権が成し遂げられたらいいなと思いながら、佐賀の誇りを取り戻して、志を未来に継承しようということで頑張っております。

 江藤新平、改めてですが、簡単に言いますと、江戸を東京に改め新都とする。当時は京都が都でありましたので、もう一個、東京というところを都にしてもいいんじゃないのかなということを大木喬任と共に進言したのが江藤新平。それから、三権分立の設計。それから、江戸時代と違って、全ての国民がみんな教育を受けられるようにするべきではないのかということを訴えたわけです。それから、法典の編纂、憲法、民法。それから、一番、江藤新平と言えばと言われる司法制度の父。民間(人)救済ということについて、それを主軸に置いているなら司法制度をつくるべきではないのかということで、この国、今につながる裁判制度をつくったのが江藤新平であります。なのにもかかわらず、ろくな裁判を受けられずに、自分が設計したモンタージュ写真の第1号になって、自分が処刑されるという何とも悲劇な人です。にもかかわらず、やはり佐賀県民的には、政府に逆らって処刑されたというイメージが強過ぎたのかどうか。あまりにも西郷隆盛との扱いの差に、佐賀県として、これまで、これでよかったのかどうかという強い問題意識を持って今に至っているというわけであります。

 後に罪状は消滅して名誉回復はなされましたけれども、こうした輝かしい功績は打ち消されたままなのではないかという佐賀県の問題意識であります。

 ということで、没後150年が昨年でありましたので、特別展を実施したら、全国から多くの江藤ファンに集まっていただきました。ということで、昨年10月から常設展示化をしておりますし、本当にうれしかったのは、我々が言い続けている、乱じゃないんですよ。佐賀が乱を起こしたというわけではなくて、もっと歴史的な考証を加えるべきだという、教科書の一つで「佐賀戦争」と表記されたというのは我々にとっては大変うれしいニュースでありました。

 ということで、この2月1日には江藤の復権に向けた機運をさらに高めようということで、井沢元彦さんなどを呼んで、復権イベントを行いたいと思っているわけでございます。ぜひご参集いただきたいと思います。

 さらに、やはり大きく江藤を皆さんに知っていただくためにどうしようかということで、プロモーションムービーを今制作しているわけであります。江藤の功績を伝えるムービーを今春公開予定なのでありますけれども、あの大河俳優が登場して、江藤新平を熱く語っていただこうと思っております。大河ドラマにも何度も秀吉役などで出てくる、誰でしょう。分かりませんね。ということで、竹中直人さんにご快諾をいただきましたので、どういう江藤新平が語られるのか、演じられるのか、そういったことも含めて、これからのムービーを楽しみにしていただきたいと思っております。

 江藤新平の「志」を未来へと考えています。これは維新博のときの入り口の姿ですね。


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