この銅像は、佐野常民が生誕200年を迎えたことを記念して建立されました。
佐野常民は幕末の佐賀藩で、理化学や蒸気機関などの最新技術研究を行う精煉方の主任、三重津海軍所の責任者を歴任し、佐賀藩の近代化の中心となって活躍しました。その後、1867年のパリ万博に参加して国際赤十字と出会い、1877年の西南戦争における悲惨な戦況を聞き、博愛社(現・日本赤十字社)の設立を訴えました。「敵・味方の区別なく救護を行う」という設立の趣旨は容易に理解を得られませんでしたが、激戦地熊本に赴いて政府軍本部の征討総督・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たるひとしんのう)に直訴し、ついに設立が許可されました。
お披露目式では、山口知事が日本赤十字社の清家篤(せいけ・あつし)社長、現在の佐野家ご当主の佐野常具(さの・つねとも)氏らと除幕を行い、銅像が姿を現しました。
銅像は高さが約2.5mあり、西南戦争の激戦地である熊本の方角を向いており、博愛社設立の請願書を手にしています。
山口知事は「佐野常民の『想い』が、そのまま現代に蘇った。全国からSAGAサンライズパークへやってきた人たちに、サンライズストリートを歩いて佐野の博愛の精神や平和への想いに触れてほしい。未来を生きる多くの人々に佐野の想いが伝わると嬉しい。」とコメント。
佐賀県は多方面で輝かしい功績を残した佐野常民の熱い『想い』を「今」と「未来」に受け継いでいきます。
以上、広報広聴課レポーターがお伝えしました。