江藤 新平(えとう・しんぺい)【1834年~1874年】
16歳で弘道館に入学し、その後、義祭同盟に参加。「図海策」を書き開国論を唱えました。
江戸開城に立ち会い、大木喬任とともに東京奠都を建白しました。明治政府では文部大輔、左院副議長などを歴任し、初代司法卿となり近代的な裁判制度を導入しました。ほかにも、三権分立に基づく国家制度の設計や憲法・民法などの法典編纂、国民皆教育の導入など現代に繋がる日本の礎を築きました。
島 義勇(しま・よしたけ)【1822年~1874年】
9歳で弘道館に入学し、その後、義祭同盟に参加。江戸遊学に際しては水戸学派の藤田東湖に師事しました。
安政4(1857)年、佐賀藩主鍋島直正の命により蝦夷地・樺太を調査し、その見聞を「入北記」などに記しました。明治2(1869)年には明治政府の蝦夷開拓御用掛を命じられ、次いで開拓判官となり、札幌に「五州第一の都」を造るという壮大な構想で札幌の街づくりを牽引しました。
その後、明治天皇の侍従や初代秋田県権令などを務めました。
概要:本展覧会では、維新の十傑や佐賀の七賢人と称され、「人民のために」という信念を貫いて明治日本の新たな国家づくりに尽力した江藤新平の功績や人となり等を、映像展示や歴史資料展示により紹介し、その“志”に迫ります。