令和6年11月15日 博物館・美術館 学芸課 担当者 岩永 内線 3717 直通 0952-24-3947 E-mail hakubi@pref.saga.lg.jp |
OKADA-ROOM Vol.32の展示がスタートします うつくしきひとのかたち―指先の優美―
佐賀県立美術館は開館以来、明治から昭和初期にかけて活躍した佐賀県出身の日本近代洋画の巨匠岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ、1869~1939)の画業と人物を紹介してきました。
岡田三郎助は特に上品で優美な女性像を得意とし、「美人画の岡田」「女性像の岡田」と称された画家でした。鋭敏な色彩感覚に裏打ちされた色のハーモニーに加え、形態を正確に写すより独特の「型」とも呼べる理想的な姿態をあらわす傾向もまた、岡田作品に特有の上品な雰囲気を支えた要素といえるでしょう。
岡田が描いた人物像は、くつろいだ雰囲気を演出しつつも細部まで神経の行き届いたポーズをとっています。中でも手指に関して、岡田は極めて意識的に上品なかたちを描こうとしているようです。
今回のOKADA-ROOMでは、「うつくしきひとのかたち―指先の優美―」と題し、とりわけ魅力的な指先の表現が見られる岡田三郎助作品を下記のとおり展示します。
記
1 会期 令和6年11月16日(土曜日)~令和7年2月24日(月曜日・祝日)
2 開館時間 9時30分~18時
3 休館日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
12月29日(日曜日)~1月1日(水曜日・祝日)
4 会場 佐賀県立美術館 OKADA-ROOM(佐賀市城内1丁目15-23)
5 観覧料 無料
出品作品
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岡田三郎助《矢調べ》1893(明治26)年頃 油彩・画布、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財 | 岡田三郎助《中野多津像》1893(明治26)年頃 油彩・画布、個人蔵(寄託) |
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岡田三郎助《花の香(エスキース)》1903(明治36)年頃 油彩・画布、個人蔵(寄託) | 岡田三郎助《薊》1908(明治41)年 油彩・画布、佐賀県立美術館 |
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岡田三郎助《少女読書》1924(大正13)年 油彩・画布、佐賀県立美術館 | 岡田三郎助《婦人像》1909(明治42)年 油彩・画布、佐賀県立美術館 |
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岡田三郎助《手》制作年不詳 鉛筆・紙、佐賀県立美術館 | 岡田三郎助《坐婦》1929(昭和4)年 フレスコ・画布佐賀県立美術館 |
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岡田三郎助《ぬいとり》1914(大正3)年 油彩・画布、佐賀県立美術館 | 岡田三郎助《花野》1917(大正6)年 油彩・画布、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財 |
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岡田三郎助《少女》1932(昭和7)年 油彩・画布、個人蔵(寄託) | 岡田三郎助《おさん(近松門左衛門作「大経師昔暦」より)》 1922(大正11)年、木版摺著色、佐賀県立美術館 |
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岡田三郎助《裸婦》1935(昭和10)年 油彩・画布、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財 | 岡田三郎助《婦人半身像下絵》1936(昭和11)年 パステル・紙、佐賀県立美術館 |
出品目録(予定)
1岡田三郎助《手》制作年不詳、鉛筆・紙、佐賀県立美術館
2岡田三郎助《中野多津像》1893(明治26)頃、油彩・カンヴァス、個人蔵(寄託)
3岡田三郎助《矢調べ》1893(明治26)頃、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財
4岡田三郎助《花の香(エスキース)》1903(明治36)頃、油彩・カンヴァス、個人蔵(寄託)
5岡田三郎助《薊》1908(明治41)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館
6岡田三郎助《婦人像》1909(明治42)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館
7岡田三郎助《ぬいとり》1914(大正3)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館
8岡田三郎助《花野》1917(大正6)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財
9岡田三郎助《おさん(近松門左衛門作「大経師昔暦」より)》、1922(大正11)、木版摺著色、佐賀県立美術館
10岡田三郎助《少女読書》1924(大正13)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館
11岡田三郎助《坐婦》1929(昭和4)、フレスコ・カンヴァス、佐賀県立美術館
12岡田三郎助《少女》1932(昭和7)、油彩・カンヴァス、個人蔵(寄託)
13岡田三郎助《裸婦》1935(昭和10)、油彩・カンヴァス、佐賀県立美術館、佐賀県重要文化財
14岡田三郎助《婦人半身像下絵》1936(昭和11)、パステル・紙、佐賀県立美術館
岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ) 1869(明治2)~1939(昭和14)
1869年(明治2年)、佐賀県佐賀町(現佐賀市)に旧佐賀藩士石尾孝基(いしお・たかもと)の三男として生まれる。幼時に油絵に関心を持ち、のち洋画を学ぶ。黒田清輝(くろだ・せいき)、久米桂一郎(くめ・けいいちろう)らとともに洋画団体「白馬会」を創立、東京美術学校の西洋画科の助教授に就任する。また文部省の留学生としてフランスに渡り、画家ラファエル・コランから穏やかで明るい色調の作風を学んだ。帰国後は東京美術学校教授として、官展の指導者として、後進の育成に力を注ぎ、1937年(昭和12年)、第1回文化勲章を受章した。
繊細優美な婦人像を多く描き「美人画の岡田」と呼ばれた。
岡田三郎助アトリエ・女子洋画研究所 (県立博物館東側)
岡田三郎助は、1908年(明治41年)から1939年(昭和14年)まで、現在の東京都渋谷区恵比寿で暮らし、制作に打ち込みました。自宅に隣接したアトリエは木造の洋風建築で、岡田の没後は洋画家の辻永(つじ・ひさし)が譲り受けました。辻家の人々により長年守られた後、佐賀県立博物館東隣に移築・復原され、2018年度から一般公開されています。2022年には、国の登録有形文化財に登録されました。
このアトリエで岡田の名作の数々が誕生し、またその一室は、彼が主宰した画塾「女子洋画研究所」の教室として使用され、数多の女性画家たちが巣立ちました。
御来館の際は、ぜひアトリエもあわせて御見学ください。