東墳丘墓(杉籠地区3区) 発掘調査の詳細
調査の結果、東側の独立丘陵状の高まりの頂上部からは、弥生時代前期の環壕跡1条、弥生時代中期の甕棺墓37基などが発見されました。また、この独立丘陵状の高まりは、鎌倉~室町時代に山城として利用されていた可能性が高く、本来の地形が大きく改変されている可能性が高いことが分かりました。さらに、土層を詳しく検討した結果、この独立丘陵状の高まりは人工的に造成された墳丘ではなく、自然地形である可能性が高いことが判明しました。つまり、田手川の西岸にあたる現在の吉野ヶ里歴史公園の中心部分にあたる志波屋・吉野ヶ里段丘の南東部分にあたると考えられ、現在では田手川によって東西に分断されていますが、弥生時代当時は田手川が現在よりも東側に流れており、段丘が連続していた可能性が高いと考えられます。
弥生時代前期の環壕跡は、丘陵状の高まりの頂上部分を囲むように掘られており、直径は約20mと小形のものです。壕の埋土からは、弥生時代前期の土器や石器が出土しました。他の遺跡の類例などから、この環壕は竪穴住居を囲むためのものではなく、貯蔵穴などを囲むための壕ではないかと考えられます。
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弥生時代中期の甕棺墓地
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弥生時代前期の環壕跡