現在の佐賀・福岡県の地域では、弥生時代中期(紀元前3~1世紀)を中心に大型の土器を用いたお墓、甕棺墓がさかんに営まれます。日本列島では火山灰性の酸性土壌であるところが多く、高温多湿の気候と合わさり、一般的には古人骨が残りにくいのですが、甕棺墓が壊れず、中の空洞が確保されていた場合、人骨が残っている可能性が高くなります。
人骨が良好な状態で残っていた場合、性別や死亡年齢はもちろん、外傷や病歴、出産歴、血縁関係などのさまざまな情報を得ることができ、埋葬方法や親族関係、食生活など当時の社会を研究する上で大変役立っています。
吉野ヶ里遺跡では、有名な「首なし人骨」や銅剣の先端が刺さった人骨、顔面に朱が付着している頭蓋骨などが発見されています。また、吉野ヶ里の甕棺墓に埋葬された人々は、長身で、のっぺりとした面長の顔つきの「渡来系弥生人」であったことが分かっています。
壊れていない甕棺墓と内部の人骨