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遺跡の復元・整備

最終更新日:

 吉野ヶ里(よしのがり)歴史公園での弥生集落の復元・整備は、発掘調査によって明らかになった弥生時代終わりごろ(紀元後200年前後)の吉野ヶ里遺跡のありさまを再現しています。
 発掘された祭殿や物見櫓、高床倉庫などの掘立柱建物跡、竪穴建物跡や環壕跡などの中から、弥生時代終わりごろに存在していたものを選び、発掘された場所の真上に復元しています。
 復元に際しては、当時の集落の空間構成(構造)を調査成果に基づき、約40haの環壕集落を「吉野ヶ里のクニ」の中心集落ととらえ、それぞれの区域を構成しています。

  

 

北内郭

 北内郭は、二重の環壕で囲まれ、簡単に入ることができない複雑な構造をもつ出入り口が1ヶ所しかない外部から厳重に守られた空間です。内部には、平面が12.3m×12.7mという弥生時代で最大級の規模を誇る大型掘立柱建物跡や物見櫓と考えられる掘立柱建物跡などが見つかりました。大型掘立柱建物跡は総柱建物という構造などから、巨大な高層建物と考えられ、建物北側の正面には中期前半につくられた墳丘墓を臨む位置に建てられていることから、おそらく墳丘墓に埋葬された吉野ヶ里の王たちの霊を祭るための建物であったと考えられます。また、この時期の竪穴建物跡が1棟しか確認できず、主に掘立柱建物で構成されているという特徴があります。
 そこで、北内郭をクニ全体の祭祀の場あるいは最高司祭者の居住の場と考えました。

写真:発掘当時の北内郭 

     発掘調査当時の北内郭(上空から) 

 

写真:復元された北内郭

       復元された北内郭(東から) 

 

 

南内郭

 南内郭は、掘立柱建物が多い北内郭とは違い、竪穴建物(竪穴住居)主体の集落で、平屋の建物もいくつか存在します。南東部に2ヶ所出入り口があり、その近くに物見櫓と考えられる掘立柱建物跡が見つかっています。内部から出土する土器は日常的に使うものが多く、当時貴重であった鉄器を多く出土しています。
 そこで、南内郭を実際にクニを運営する高階層の人々(大人)の居住かつ政治活動の場と考えました。

写真:発掘当時の南内郭

         発掘調査当時の南内郭(北から) 

 

写真:復元された南内郭 

         復元された南内郭(南西から) 

 

西方倉庫群

  南内郭西側の低いところには、多くの掘立柱建物跡が存在しており、高床倉庫群を形成していたものと考えられます。弥生時代終わりごろと推定されるのは、30基以上の高床倉庫や少数の竪穴建物などで、外環壕と壕によって囲まれた南内郭に近い部分に大型の倉庫が並ぶ区画もあります。西方倉庫群の中には、倉庫群を管理する建物と考えられる高層の掘立柱建物跡があり、また建物の配置から広場や道路跡などが推測されることから、古代中国の状況に照らし合わせると、この場が交易の「市」であったとも推定されます。
 そこで、高床倉庫群をクニの倉庫かつ交易の市のあった場所(「倉と市」)と考えました。

写真:発掘当時の西方倉庫群 

      発掘調査当時の西方倉庫群(上空から)

 

写真:復元された西方倉庫群 

     復元された西方倉庫群(南西から)
 

 

弥生時代の建物の復元 

 以上の建物の復元については、発掘された建物の跡(遺構)の構造、吉野ヶ里遺跡のみならず全国の弥生時代遺跡から出土した建築木材、弥生人が描いた建物絵画、古墳時代の家形埴輪、当時外交関係にあった古代中国の建物関係資料(発掘遺構・建物模型・古記録・画像石など)、現在の東アジア古建築など多くのものを参考にし、専門家と協議を重ねながら推定しました。
 しかし、弥生時代の吉野ヶ里(よしのがり)の丘に建っていた建物の本当の姿が明らかになったわけではありません。今後、発掘や研究が進めば、真実の姿が見えてくるものと期待されます。

 


 

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