令和4年4月28日告示
所在地 佐賀県神埼市神埼町鶴3658-2 佐賀県文化財調査研究資料室
所有者 佐賀県
唐津市原に所在する中原遺跡は、現松浦川河口の約4km上流で、右岸の砂丘微高地上(標高約4m)に立地する。
平成11年から発掘調査を開始し、平成13年~平成17年にかけ、弥生~古墳時代の集落と墳墓の調査を実施した。
弥生時代終末期の墳墓は砂丘微高地の西側縁辺部に立地し、墳丘墓3基は並んでつくられる。
このうち、副葬品組成がわかり、出土状態も良好であるST13415墳丘墓副葬品を指定対象とする。
ST13415墳丘墓は周溝によって区画され、墳丘の南北径10m、東西径11mで、埋葬施設を3箇所に有する。
1号埋葬施設は墳丘中央に、2号埋葬施設は周溝内に、3号埋葬施設は周溝外面に陸橋に沿ってつくられる。
1号埋葬施設から出土した内行花文鏡2面の鏡片、鉄剣、鉄鏃、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉はすべて棺外副葬であり、
鏡片は足位両側に、鉄剣は足位右側に、玉類は頭位直上に副葬されていた。
2号埋葬施設では破砕された方格規矩鳥文鏡1面が棺内外に、鉄剣1口、鉄鏃1点、ガラス製小玉1点が棺外に副葬されていた。
3号埋葬施設から出土した浮彫式獣帯鏡の鏡片は棺外頭位右側に、鉄剣は棺外頭位左側に、
ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉は主に棺外頭位直上に副葬されていた。
ST13415墳丘墓が築造された時期は、副葬された銅鏡や周溝から出土した土器などから、弥生時代終末期と位置づけられる。
本墳丘墓は鏡、玉、剣などの副葬品を有するなど福岡県糸島市平原遺跡とならび北部九州の代表的墳墓であり、
その副葬状況もわかる重要な資料である。
副葬品のうち最上位に位置づけられる青銅鏡4面は中国後漢代に製作された舶載品で、
1号埋葬施設出土の碧玉製管玉や2号埋葬施設出土のガラス小玉も舶載品であるなど、鏡・玉・剣などからなる上位階層者の墳墓副葬品である。
また、青銅鏡は全ての破面に研磨痕はみられず、故意に破砕して棺外に副葬している。
玉類もすべて棺外の頭位直上に散布する出土状況であり、上位階層の墳墓における副葬品をもちいた葬送儀礼がわかるとともに、
地域首長間の交渉や後漢鏡や玉類の流通を知るうえでも価値が高い。
令和 3年 10月 14日告示 2箇所7件
登録有形文化財(建造物)
願正寺本堂・貴賓室・大広間・大玄関・鐘楼・山門(がんしょうじほんどう・きひんしつ・おおひろま・おおげんかん・しょうろう・さんもん) 6棟
令和3年10月14日告示
所在地 佐賀県佐賀市呉服元町182他
所有者 願正寺
佐賀城跡北に位置する佐賀の中心的浄土真宗寺院。
境内中央に西寄りに本堂を建て、東側の中庭を囲うように貴賓室、大広間及び大玄関を配す。
本堂の南東に鐘楼を建て、境内南辺に山門を開く。
本堂は正面九間、奥行八間半、入母屋造本瓦葺で九州有数の規模と古さを持つ。
貴賓室は、切妻造桟瓦葺で簡素ながら上質な藩主御成間と伝わる書院。
大広間は、南北に長大な平面を持ち小屋組にキングポストトラスを用い大空間を実現。
大玄関は、切妻造桟瓦葺で無柱の大空間が特徴。
鐘楼は、入母屋造本瓦葺で佐賀城下の時鐘として用いられたと伝わる。
山門は、四脚門で透彫や鈁金具など随所に浄土真宗寺院らしい華やかな装飾を見せる。
登録有形文化財(建造物)
旧枝梅酒造店舗兼主屋(きゅうえだうめしゅぞうてんぽけんおもや) 1棟
令和3年10月14日告示
所在地 佐賀県佐賀市八戸1丁目124-2
所有者 佐賀市
旧長崎街道に南面する造り酒屋の町家。
二階建ての寄棟造桟瓦葺の平入で背後に棟を延ばし、全体にコの字の屋根とする。
正面は一階に下屋を付し、二階は軒まで塗込める。
内部は東側を土間、西側を二列五室の部屋とする。
佐賀特有のくど造の様相を伝え、建ちが低く全体に古式を残す。