志波屋(しわや)四の坪地区2区 弥生時代前期
弥生時代前期になると、少数の平面円形の竪穴建物跡や貯蔵穴と考えられる土坑が営まれています。この地区の西側や南側に隣接する志波屋四の坪地区1区においても同様の傾向がみられることから、弥生時代前期初頭~前半には小さな集落が展開していたと考えられます。
なかでも、395調査区東部で発見された竪穴建物跡(SH2203)からは、炭化した木材や、焼けた土などが大量に出土しました。このことから、何らかの原因によって火災を受けて焼けてしまった建物(焼失住居跡)の可能性が高いと考えられます。この建物跡の内部からは、弥生時代前期前半の土器が少量出土したほか、剥片石器や石斧が出土しました。
墓地については、弥生時代前期末ごろから甕棺墓が作られ始めます。特に、最南部の382調査区では、前期末~中期初頭(金海式~城ノ越式)の甕棺墓が一定の範囲に密集して分布しています。
焼失住居跡