志波屋(しわや)四の坪地区2区 弥生時代中期
弥生時代中期になると、集落については時期が明確な竪穴建物跡がほとんどみられなくなります。そのため、弥生時代中期には主に墓地としての利用が中心となったと考えられます。中期の墓地の主体は甕棺墓で、わずかに土坑墓や石棺墓もみられます。特に注目されるものとして、372調査区SJ1562甕棺墓(須玖式)からは、ほぼ全身の男性人骨とともに不明鉄製品1点が出土しました。時期的に最古級の副葬鉄器として重要です。また、377調査区SJ1723甕棺墓からは、女性人骨の腕に貝輪8点が装着された状態で出土しました。
甕棺墓の分布状況をみると、南北方向を主軸として約100mにわたり列状に埋葬されています。また、南北方向とは別に、北西-南東方向に列をなす甕棺墓群が約110mにわたって検出されたことも特筆されます。さらに、この斜方向の甕棺墓列は、南北方向の墓列と369調査区中央部で交差しているのが特徴です。複数の甕棺墓列が交差する事例は、今のところ他の遺跡では確認されておらず、その理由や背景については明らかになっていません。
甕棺墓は中期後半になると数が減少するものの、後期前半までは継続します。一方、中期後半~後期前半の集落遺構は、時期が明確なものはほとんどなく、集落としてほとんど利用されていないものとみられます。