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佐賀県文化財調査報告書 平成21年度(2009年度)

最終更新日:
       番号   表紙   報告書名   調査概要
 副題
 180 西畑瀬遺跡2・大串遺跡  西畑瀬遺跡2・大串遺跡  所在地 佐賀市富士町大字畑瀬・大串 

 遺跡の時代と種類 縄文時代の集落跡、中世の集落跡

 事業の原因 嘉瀬川ダム建設事業 

 調査面積 41,000 m2  

 調査主体 佐賀県教育委員会

 調査期間 平成13年10月1日~平成18年3月28日

 嘉瀬川ダム建設に伴う

 埋蔵文化財調査報告書3

 本書は、嘉瀬川ダム建設事業に伴い、平成13~17年度に実施した佐賀市富士町所在の西畑瀬遺跡4~7区下層、大串遺跡1区の発掘調査報告書である。縄文時代早期中葉~晩期後葉の間、長期間営まれた集落跡が確認され、そこから土器、石器が多数出土した。このうち、約7,300年前に鹿児島の鬼界カルデラから噴出したアカホヤ火山灰を含む層の下位で、早期後葉の遺物がまとまって検出されたことは重要な成果である。西畑瀬遺跡の性格については、焼礫集積遺構や焼土遺構が多く出土したが、竪穴住居や墓は確認されなかったこと、石器組成で石鏃が占める割合が高いという特徴から、長期間使用されていた狩猟用のキャンプ地であることが想定される。
 大串遺跡では、中世(14~15世紀)の屋敷地を建設し、掘立柱建物跡が多数重複している状況が確認された。出土遺物は、中国・朝鮮からの輸入陶磁器、山口県域でよくみられる足鍋、在地系土器が混在した状況が確認され、周辺遺跡との比較が今後の課題である。
       番号   表紙   報告書名   調査概要
 副題
 181  県内遺跡確認調査報告書27  佐賀県内遺跡

 確認調査報告書27

 所在地 佐賀県内一円 

 遺跡の時代と種類 弥生時代、古墳時代、中世、近世の集落跡、弥生時代の墳墓

 事業の原因 国・県所管の公共事業 

 調査面積 251.51 ha  

 調査主体 佐賀県教育委員会

 調査期間 平成19年4月2日~平成20年3月31日

 

  本書は、平成19年度に実施した農林業基盤整備事業、那珂川総合開発事業(五ヶ山ダム)、西九州自動車道建設事業に係る文化財確認調査の報告書である。調査された遺跡・地区は、西山田天神遺跡、西原遺跡、柏町遺跡、東山田四本松遺跡、西山田二本松遺跡、銚子塚古墳隣接地(佐賀市)、下対遺跡(伊万里市)、小川内遺跡、小川内小学校遺跡(吉野ヶ里町)である。西原遺跡では、弥生時代の集落跡とみられる遺構が確認され、弥生土器が出土した。西山田天神遺跡でも、弥生時代~古墳時代の集落跡とみられる遺構が確認され、それぞれ甕棺片や弥生土器、須恵器が出土した。小川内遺跡、小川内小学校遺跡は、那珂川総合開発事業に伴う確認調査で遺構・遺物を検出し、中世から近世における山間部の集落遺跡として、周知化された。
番号        表紙  報告書名   調査概要
副題
 182  中原遺跡(4)

中原遺跡4

(11区・13区弥生時代甕棺墓の調査) 

所在地 唐津市原字溜ノ内・西ノ畑 

遺跡の時代と種類 弥生時代の甕棺墓

事業の原因 西九州自動車道建設事業 

調査面積 10,200 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成13年5月28日~平成17年9月30日

西九州自動車道建設に係る

文化財調査報告書(7) 

 本書は、西九州自動車道唐津-浜玉道路建設に伴い、平成13~17年度に実施した唐津市原所在の中原遺跡11区・13区に分布する弥生時代甕棺墓に関する発掘調査報告書である。調査対象地は、砂丘微高地全域であり、墓域全域を調査した。検出した甕棺墓は、11区で39基、13区で242基の計281基である。甕棺墓群の造営は、弥生時代前期前半に出現し、中期前半にピークを迎える。この時期、銅矛、銅釧(どうくしろ)、石製玉類などが副葬された甕棺墓が群集して造られる。その後、中期後半から後期にかけて甕棺墓は衰退することが判明した。また石製玉類や青銅器、人骨の分析結果を掲載している。 

番号          表紙  報告書名  調査概要
副題
 183  仁田古墳群(1) 仁田古墳群1

(仁田古墳群1区・2区・3区・矢作遺跡4区

・下新田古墳群・大坂古墳群)

所在地 唐津市浜玉町谷口・渕上 

遺跡の時代と種類 縄文時代~近世の集落跡、墳墓

事業の原因 西九州自動車道建設事業 

調査面積 2,780 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成17年12月5日~平成20年5月27日

西九州自動車道建設に係る

文化財調査報告書(8)

 本書は、西九州自動車道唐津-浜玉道路建設に伴い、平成17~20年度に実施した、唐津市浜玉町渕上・谷口所在の仁田古墳群・矢作遺跡・下新田古墳群・大坂古墳群の発掘調査報告書である。1区では近世の土坑墓・甕棺墓が確認され、墓坑から土師器・陶磁器、棺内から紅皿・土人形・煙管・銭等が出土した。2区では中世の土坑墓が検出され、土師器・黒色土器等が出土した。3区では包含層から須恵器・土師器・勾玉が出土しており、近接する仁田古墳群4区と同時期の古墳が存在した可能性があることを指摘した。矢作遺跡4区では、赤色顔料が塗られた花崗岩製の箱式石棺をもつ古墳が検出された。棺内からは、枕状の玄武岩、鉄鏃、複数の人骨、埋土中から刀子(とうす)・鉄鏃等が出土した。下新田古墳群では石室と土師器杯(はじきつき)が確認された。大坂古墳群では2基の古墳が確認され、玄門(げんもん)平積みの横穴式石室からは、須恵器、鉄製品、線刻が施された石材が出土した。

番号        表紙  報告書名   調査概要
副題
 184 春日丘遺跡  春日丘遺跡 所在地 佐賀市大和町尼寺 

遺跡の時代と種類 中世の集落跡

事業の原因 県立療育支援センター通園棟建設 

調査面積 210 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成20年8月21日~平成20年9月25日

県立療育支援センター

通園棟建設に伴う埋蔵文化財調査報告書

 

 本書は、佐賀県健康福祉本部による佐賀県療育支援センター通園棟建設に伴い、平成20年度に実施した、佐賀市大和町尼寺所在の春日丘遺跡3区の発掘調査報告書である。春日丘遺跡3区は、肥前国分寺跡の北西側に位置しており、奈良時代から鎌倉時代にかけての掘立柱建物跡、土坑、溝跡、小穴が検出された。当該遺跡は、肥前国分寺跡と南北に延びる道路を挟み、その西側に位置するが、奈良時代の遺構はほとんどなく、遺物も土師器杯と丸瓦片のみであった。調査で検出された遺構の多くは、鎌倉時代とみられる。これは、1区・2区の状況とも合致し、中世には、長期にわたり集落または屋敷跡が営まれたと考えられる。中世段階に集落または屋敷地が長期間維持される状況は、春日丘遺跡に近接する東古賀遺跡、小川遺跡、鍵尼遺跡、北原宝満遺跡、久池井遺跡、岡裏遺跡等でも同様にみられ、これらの遺跡との比較検討により、当該地域の集落・屋敷地の変遷や消長が詳細に追える可能性がある。 

番号          表紙  報告書名   調査概要
副題
 185 東畑瀬遺跡2・畑瀬城跡  東畑瀬遺跡2・畑瀬城跡 所在地 佐賀市富士町大字関屋 

遺跡の時代と種類 中世の城館跡、中世~近世の集落跡

事業の原因 嘉瀬川ダム建設事業 

調査面積 79,800 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成15年5月13日~平成21年 7月3日

嘉瀬川ダム建設に伴う

埋蔵文化財調査報告書4

 本書は、嘉瀬川ダム建設事業に伴い、平成15~ 21年度に実施した佐賀市富士町所在の東畑瀬遺跡2・4・5・6(6A~6F・6H~6R)・8区と畑瀬城跡2・3区の発掘調査報告書である。東畑瀬遺跡では、戦国時代の城館跡、中世~近世の集落跡の調査を行った。居館跡は谷部に位置し、谷を横断するように土塁(どるい)を築き、館内部を防御したものである。内部には、主殿とみられる大型の掘立柱建物跡が検出され、これに付随する門跡や柵列跡等が確認された。出土遺物には、中国・朝鮮からの輸入陶磁器、国産の陶器、在地系土器、滑石製の鉄砲玉鋳型などがある。また、居館跡の北東側には居館を防御するための小規模な山城跡が認められた。畑瀬城跡では、曲輪跡や竪堀跡を調査し、畑瀬城全体の中で出城の役割を果たしていたものと推測される。このような調査から、確認された城館跡は、戦国時代に脊振山間部(山内)を支配していた神代勝利が隠居所として築いた畑瀬城の主要部分と考えられ、その内容が明らかとなったことは重要な成果である。

 

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