【概要】
コレラ・狂犬病など、かつて佐賀でも伝染病が流行し多くの犠牲者が出ました。
それら伝染病が流行した際の県の対応や、県民の健康を支えるための衛生・保健機関の変遷について、当館所蔵の資料を使い展示を行いました。
【展示期間】
平成24年10月3日(水曜日)~平成24年12月28日(金曜日)
・展示チラシ
【展示風景】
【展示資料】
展示パネル(1)佐賀県公報に見る伝染病「コレラ」
・ 「病院教師スエモン氏虎列刺病頒布ノ事」『明治十年佐賀支庁達』
・ 衛生課(係)の県報綴3点(明治~大正) |
展示パネル(2)佐賀県公報に見る伝染病「狂犬病」
・ 「飼犬取締規則(佐賀県令72号)」『明治三十四年十一月中 佐賀県報』 |
展示パネル(3)戦前の警察と公衆衛生
・ 「検疫官及び検疫委員任命書」『判任官以下黜陟簿』(明治28年) |
展示パネル(4) 衛生行政の変遷 警察から保健所へ
・ 「県立保健所建築工事予算調書」『県会郡会等関係(県参事会付議原書)18』(昭和12年)
・ 略年表「県衛生行政の変遷(明治~昭和25年)」 |
展示パネル(5) 県民の健康を守る
・ 略年表「県の衛生・保健行政の変遷(昭和26年以降)」
・ 衛生行政に関する写真 6点(昭和49年~62年)
・ 「虎列刺(コレラ)病及赤痢患者予防消毒心得(明治28年)」の複製
・ 現在の感染症・健康に関するパンフレット 約15点 |
展示パネル(6)佐賀の最新医療
・ 九州国際重粒子線がん治療センターのポスター及びパンフレット
・ 県立病院好生館 新病院の案内パンフレット |
ミニコーナー 神になった警察官 ―増田敬太郎―
・ 明治28年、コレラ対策に奔走し殉職した巡査「増田敬太郎」の紹介パネル及びパンフレット |
|
「県報」
(明治・大正期)
現在の佐賀県公報に相当する、明治・大正期の「県庁布達」や「県報」。伝染病への予防・注意喚起、発生の知らせなども載せられました。特に衛生課(係)が保存したものは、衛生業務に関する布達類を中心に綴られています。 |
|
「病院教師スヱモン氏虎列刺病論頒布ノ事」
(明治10年10月20日、佐賀支庁達164号)
西南戦争が起きた明治10年、全国的にコレラが流行。佐賀支庁より各区々戸長へ、佐賀病院(現在の好生館)の外国人教師シモンスのコレラ論を頒布する旨の通達が出されました。 通達には佐賀病院からのコレラ論頒布の申し出の文書が添えられていますが、そこには、救命の緊急なることをもって、シモンスが診察の合間にコレラ論を編纂し佐賀病院に託したこと、その論述が刮目するに値するものだったので、要旨を翻訳したものを同志(医員)へ頒布したい、ということが記されています。
|
|
「検疫官及び検疫委員任命書」
(明治28年、『判任官以下黜陟簿』より)
明治のはじめから終戦時にいたるまで、伝染病対策など、衛生行政の現場で活躍してきたのは警察でした。
県は、警部を検疫官に、巡査部長や巡査を検疫委員に任命し、その職務にあてましたが、本人自身が感染し、殉職する者もありました。
明治28年、コレラ蔓延の徴候がある東松浦郡入野村高串地区に派遣された若い巡査・増田敬太郎も、伝染病対策に奔走した警察官の1人でした。自らも感染し殉職した彼ですが、その献身的な行為により村民の崇敬心を得て、後に神社に祀られることとなりました。 |
|
「保健所経費ニ関スル件照会」
(昭和12年、「県立保健所建築工事予算調書」より)
昭和12年制定の「保健所法」により、保健指導機関として保健所が全国的に設置されることになりました。
本県では設置するにあたり、他府県へ保健所設置に要する経費をたずね、十数の県から回答をもらっています。昭和13年には県下初の保健所となる唐津保健所が開設しました。 |