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香月家住宅は、佐賀県の南西部にある嬉野市塩田町に位置している。この一帯は、18世紀初頭に始まったとされる志田焼の生産地として知られる。志田焼は、鍋島本藩領の志田東山と蓮池支藩領の志田西山で製作された焼物のことを指し、香月家 住宅が所在する地域は、この西山地区にあたる。
香月家住宅は、この志田焼を焼成する大窯主であった浦川家が明治前期に建設したと伝えられる。この浦川家は、陶祖とされる鍋島直澄公の召により諫早から西山に移住し、代々陶器の名工を輩出したといわれる家柄である。
主屋は、木造二階建、桟瓦葺、妻入で、屋根は正面側を入母屋、背面側を切妻とし、梁間四間の二階建上屋の両側に建ちの高い袖下屋を擁し、間口6間半に及ぶ大型の表構えを成すもので、用材にはケヤキ等の良材を用い、小屋組は和小屋組で太い野物の梁を重ねた上、貫を使用する重厚な構成からなる。
また、正面下屋を支える持送りや軒や縁を支える繰型付きの腕木、二階正面の縁台手摺欄干に組み込まれた中備など、彫りの深い絵様装飾が外観を豊かに彩っており、内部は仏間と座敷部分に特に力が注がれ、仏壇には「波に蓮」、座敷付書院には「波に亀」、部屋境には「葡萄にリス」の題材を用い、意匠に優れた欄間が見事で、これらの題材は吉祥慶寿に因る動植物の主題を好んで用いた志田焼の絵文様の特色を連想させるものである。また、座敷縁側天井を吹寄せの棹縁とし、庇の軒先を二軒とする手法などは手が込んでおり、座敷と湧水を湛える庭の池を繋ぎ、来客をもてなしていたことが窺える。
香月家住宅主屋は、良材を用いた重厚な架構からなり、意匠に優れた持送りや欄間装飾等が建物を豊かに彩るなど保存状態も良好であり、志田西山に残る志田焼の窯主の住宅として重要であり、国土の歴史的景観に寄与している。
登録有形文化財(建造物)
草伝社(旧井手家住宅)店舗兼主屋(そうでんしゃきゅういでけじゅうたくてんぽけんしゅおく) 1棟 草伝社(旧井手家住宅)倉庫(そうでんしゃきゅういでけじゅうたくそうこ) 1棟
令和元年9月10日告示
所在地 唐津市北波多徳須恵字前田1030番3他
所有者 個人
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草伝社(旧井手家住宅)は、佐賀県北部の唐津市北波多徳須恵に位置する。江戸時代には、唐津から長崎へ向かう塚崎往還と伊万里へ向かう伊万里往還の分岐点であり、宿駅が整備された。付近を流れる徳須恵川には船着き場が設けられ、河川舟運の要所でもあった。明治から昭和中期にかけ多くの炭鉱が開鉱し、北波多の中心地であった徳須恵には商店や劇場、旅館などが軒を連ねた。
旧井手家住宅は、北波多村の初代村長や佐賀県会議員を務めた井出豊助が質屋兼住宅と倉庫を建造し居住したのが始まりと伝わる。その後、借家の期間を経て、子の金次郎が結婚後に移住。増築であるハナレでは、「青い山脈」の脚本執筆で知られる孫の俊郎が中学時代を過ごした。平成19年以降は原氏所有となり、草伝社という屋号で唐津焼の展示販売や茶道教室を開き活用している。
店舗兼主屋は私道に西面して建ち、東側に庭を配置する。建物は木造2階建、桟瓦葺、平入の切妻造で、北部の台所周り、中央部の座敷・店舗、南部のハナレからなり、それぞれ梁行四間と桁行二間、梁行四間と桁行七間、梁行一間半と桁行五間の規模をもつ。このうち中央部1階は、私道に面するゲンカン・ワキザシキ・ミセと、庭側のホンザシキ・ブツマ・チャノマ等からなる二列型平面で構成される。ホンザシキは近代的な意匠的特徴を有し、タガヤサン等の良材を用いた床や付書院・床脇、繊細な筬欄等を設える。座敷部分西面に取り付くゲンカンを踏まえれば、接客に特化した空間といえる。質倉として利用された北・中央部の2階は板間で天井は無く、小屋は京呂組の二重梁で、妻壁には小屋梁上から棟上にかけて斜めの貫が入る。2階の外装は現状縦板張だが、建造当初の外観を示すと考えられる大正11年(1922)の古写真では北部が板張、中央部が白漆喰の大壁である。棟札等、建物の建設年代を示す資料は確認できないものの、井手家三代の来歴と井手家に伝聞される明治38年(1905)の建造年代から、北部・中央部は明治後期、大正11年の古写真にない南部は大正後期の建造と考えられる。
倉庫は、主屋兼店舗北側に隣接して建つ。伝聞では同様の倉庫2棟がさらに北側に並び、倉庫3棟、店舗兼主屋、井手家本家が2階部の渡廊下で繋がっていたという。倉庫は、木造2階建、桟瓦葺、平入の切妻造で、梁行二間半、桁行五間の規模をもち、1階は土間の二間、2階は厚板張の一間で構成される。小屋は京呂組で、二重梁と登梁を用いる。店舗兼主屋と倉庫の2階壁面には伝聞の裏付けとなる渡廊下の痕跡を確認し、倉庫は店舗兼主屋と同じ明治後期の建造と考えられる。
草伝社(旧井手家住宅)の店舗兼主屋と倉庫は、良材を用い意匠を凝らした座敷が、建物構成とともに良好に残る等、近代における北波多徳須恵の盛栄を示す重要な町家建築であり、国土の歴史的景観に寄与するものである。
登録有形文化財(建造物)
永井家住宅店舗兼主屋(ながいけじゅうたくてんぽけんおもや) 1件
令和2年2月4日告示
所在地 佐賀県唐津市呼子町呼子字坊山3085
所有者
呼子湾沿いの道に東面して建つ二階建、切妻造平入、桟瓦葺の町家。間口六間半で、正面に持送付の腕木庇を付し、二階外壁を漆喰塗とする。北を床上部、南を通り土間とし、通り土間西半の吹抜に貫を多用した小屋組を現す。港町呼子で江戸後期に遡る貴重な町家。
登録有形文化財(建造物)
光栄菊酒造通り蔵及び本蔵(こうえいぎくしゅぞうとおりぐらおよびほんぐら)・洗い場及び釜場(あらいばおよびかまば)・モトクラ・ムロマエ・旧麹室(きゅうこうじむろ)・煙突(えんとつ) 6件
令和2年2月26日告示
所在地 佐賀県小城市三日月町織島字下七本六割2602-3
所有者 光栄菊酒造株式会社
小城市は、祇園川や川上川の豊かな清流によって収穫される良質の酒米を用いて醸造される清酒が有名で、千代雀や菊坏、神集幣、義宗、光栄菊等の銘酒が生産されるなど、古くから酒造業が主要な産業である。
光栄菊酒造は、小城市三日月町に位置し、表側は旧街道に面し、背景には田園を擁しており、高くそびえる煉瓦造の煙突は地域のシンボルとして親しまれている。製酒業は平成15年に幕を閉じたが、令和元年に外部からの有志によって製酒業が再開され、平成30年8月の豪雨災害も乗り越えて約20年ぶりに銘酒 光栄菊の復興がなされた。
今回、登録となる建造物6件は、通り蔵及び本蔵を中心とする製酒に係る諸施設である。大正9年(1920)建設の通り蔵と昭和2年(1934)建設の本蔵は、元々南北方向に並行して建つ木造2階建、半切妻屋根の大型土蔵であるが、昭和11年(1936)にその南側5間分を繋いでコの字型状の平面を形成したもので、内部小屋組の豪壮な架構は見応えがある。外部からの有志によって伝統産業が復活した光栄菊酒造は、地域創生のモデルとなるものであり、田園風景の中に佇む酒蔵や煉瓦造の煙突は、地域のランドマークとして当地の歴史的景観に大きく寄与している。
登録有形文化財(建造物)
願正寺本堂(がんしょうじほんどう)・貴賓室(きひんしつ)・大広間(おおひろま)・大玄関(おおげんかん)・ 鐘楼(しょうろう)・山門(さんもん) 6件
令和2年10月14日告示
所在地 佐賀県佐賀市呉服元町182他
所有者 願正寺
佐賀城跡北に位置する佐賀の中心的浄土真宗寺院。
境内中央に西寄りに本堂を建て、東側の中庭を囲うように貴賓室、大広間及び大玄関を配す。
本堂の南東に鐘楼を建て、境内南辺に山門を開く。
本堂は正面九間、奥行八間半、入母屋造本瓦葺で九州有数の規模と古さを持つ。
貴賓室は、切妻造桟瓦葺で簡素ながら上質な藩主御成間(おなりのま)と伝わる書院。
大広間は、南北に長大な平面を持ち小屋組にキングポストトラスを用い大空間を実現。
鐘楼は、入母屋造本瓦葺で佐賀城下の時鐘として用いられたと伝わる。
山門は、四脚門で透彫や鈁金具など随所に浄土真宗寺院らしい華やかな装飾を見せる。
登録有形文化財(建造物)
旧枝梅酒造店舗兼主屋(きゅうえだうめしゅぞうてんぽけんおもや) 1件
令和2年10月14日告示
所在地 佐賀県佐賀市八戸一丁目124-2
所有者 佐賀市
旧長崎街道に南面する造り酒屋の町家。
二階建ての寄棟造桟瓦葺の平入で背後に棟を延ばし、全体にコの字の屋根とする。
正面は一階に下屋を付し、二階は軒まで塗込める。
内部は東側を土間、西側を二列五室の部屋とする。
佐賀特有のくど造の様相を伝え、建ちが低く全体に古式を残す。
登録有形文化財(建造物)
岡田三郎助アトリエ(おかださぶろうすけアトリエ) 1件
令和3年6月29日告示
所在地 佐賀県佐賀市城内一丁目15-23
所有者 佐賀県
東京都渋谷区にあった岡田三郎助の木造アトリエで、郷里佐賀に移築したもの(佐賀県立博物館・美術館に附属)。 アトリエと女子洋画研究所からなる洋風建築で、内部は安定した採光を確保するため、随所に窓を設ける。
画壇の中心的サロンとなった明治期のアトリエで、初期女性洋画家教育施設としても貴重。
登録有形文化財(建造物)
庄野家住宅金蔵(旧佐賀城本丸御蔵)(しょうのけじゅうたくかねぐら きゅうさがじょうほんまるおくら) 庄野家住宅隠居所(いんきょじょ) 2件
令和3年10月31日告示
所在地 佐賀県佐賀市本庄町大字本庄字一本黒木七角5他
所有者 一般財団法人庄野歴史資料館
金蔵は、佐賀城南西、国道に南面した敷地東に建つ佐賀城の蔵を移築した土蔵。
土蔵造二階建南北棟の本瓦葺で、一階北面に下屋を付し西面北寄りに庇付の出入口を設ける。
外周部は腰高の竪板張とし上部は漆喰塗で軒裏は曲線状の揚塗とする。
佐賀城の遺構として貴重。
隠居所は、水路に囲まれた敷地の北、金蔵の西に建つ。
入母屋造桟瓦葺、四周に庇を廻らす。
東に床棚付の座敷八畳と次の間六畳を東西に並べ、南北に縁を付しガラス戸を建て込む。
部屋縁境の額入障子や欄間、付書院障子に用いた精緻な組子が目を引く近代和風の書院。
登録有形文化財(建造物)
脊振小学校石門(せふりしょうがっこういしもん) 1件
令和3年10月31日告示
所在地 佐賀県神埼市脊振町広滝字井ノ上574-1
所有者 神埼市
神埼市北部の山間に所在する小学校の門。
高さ4.3m、1.09m角の花崗岩江戸切り仕上の石柱を、間口7.1mに立てる。
石材は裏山の石切り場で切り出し、大正天皇即位記念で村民有志が建設した。
学校のシンボルで、稀に見る大きさの石門。