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佐賀の偉人

最終更新日:


佐賀の偉人 維新期にはばたいた佐賀人たち

鍋島 直正 | 佐野 常民 | 島 義勇 | 副島 種臣 | 大木 喬任 | 江藤 新平 | 大隈 重信 | 古賀 穀堂 | 草場 佩川 | 平山 醇左衛門

小笠原 長行 | 中林 梧竹 | 山口 尚芳 | 久米 邦武 | 鍋島 直彬 | 納富 介次郎 | 辰野 金吾 | 齋藤 用之助

 

佐賀藩近代化のリーダー 鍋島 直正(なべしま なおまさ)

鍋島 直正
[1814-1871]
 
17歳で第10代佐賀藩主についた鍋島直正は、長崎で何度もオランダ船に乗り込み、船内を視察した。直正は鉄製大砲製造に取り組み、佐賀藩はペリー来航の時に唯一鉄製大砲製造に成功していた。佐賀藩の存在感は抜群だった。「私の家来はとにかく学ばなければならぬのだ」。直正は幕末佐賀藩や明治政府で活躍する人材を多数生み出した。

写真:公益財団法人鍋島報效会所蔵
 
 
 
 
 
 

日本赤十字の創設者 佐野 常民(さの つねたみ)

佐野 常民
[1822-1902]
 
佐賀藩の理化学研究を主導した佐野常民。三重津海軍所の監督となり、日本初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させた。1867年には、佐賀藩を代表してパリ万博にも参加。そして、西南戦争においては「博愛社」を創立。敵味方の区別なく負傷者を救護した博愛精神は、今日の日本赤十字に受け継がれている。
 

北海道開拓の父 島 義勇(しま よしたけ)

島 義勇
[1822-1874]
 
札幌では「判官さま」と呼ばれ、毎年慰霊祭が行われるほど道民にとって特別な存在である。安政3(1856)年から翌年にかけて藩主鍋島直正の命により、蝦夷地・樺太を調査。明治2(1869)年、明治新政府から開拓掛を命じられ、次いで開拓判官となり、札幌に「五州第一の都」を造るという壮大な構想で北の地を発展させた。
 

正義人道の外務卿 副島 種臣(そえじま たねおみ)

副島 種臣
[1828-1905]
 
国学者で弘道館教諭だった父・枝吉南濠、兄・枝吉神陽の下で、早くから尊皇攘夷思想に目覚めた。明治4(1871)年に外務卿(現外務大臣)となり、マリア・ルス号事件で清国人苦力を解放したことで、「正義人道の人」と国際的に知られた。特命全権公使として清国にも渡り、対清交渉にも活躍。書家「蒼海」としても著名。
 

初代文部卿 大木 喬任(おおき たかとう)

大木 喬任
[1832-1899]
 
明治政府に出仕し東京奠都(てんと)に尽力。また建国策を起草し、諸制度の近代化を主張。初代文部卿として教育改革を、さらに司法卿として司法制度の確立を目指し、民法の編纂にも関わるなど国の発展に尽くした。のちに元老院議長、枢密院議長、司法大臣、文部大臣等を歴任した。
 
 

近代司法の父 江藤 新平(えとう しんぺい)

江藤 新平

[1834-1874]
 
明治新政府に発足当時から参加し、東西両京論(東京奠都論)、上野戦争などで活躍した。政府の要職である制度取調御用・文部大輔・左院副議長・司法卿(初代)・参議を歴任し、官制改革・法典編纂・教育行政・司法制度改革など幅広い分野で大きな功績をあげた。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

日本初の政党内閣を組閣 大隈 重信(おおくま しげのぶ)

大隈 重信
[1838-1922]
 
明治新政府では、外国事務局判事・大蔵卿・外務大臣・農商務大臣などを歴任し、グレゴリオ暦の導入、鉄道の敷設、貨幣制度の整備、東京専門学校(現早稲田大学)の創立など大きな功績をあげた。また、1898年には総理大臣を拝命し、板垣退助と共に日本初の政党内閣を組閣した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

直正の藩政改革を支えた 古賀 穀堂(こが こくどう)

古賀 穀堂
[1777-1836]
 
儒学者で教育者。儒学の師でありながら、広い視野で蘭学を奨励し、西洋を知る必要性を説いた。鍋島直正の教育係を務め、直正が第10代佐賀藩主となった翌年には、藩政刷新のために藩士の意識改革を求めた意見書『済急封事』を提出。直正の藩政改革を理論的に支えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

博学多芸の儒学者 草場 佩川(くさば はいせん)

草場 佩川
[1787-1867]
 
幼い時から非凡で、博学多芸。地元の東原庠舎、藩校弘道館を経て、昌平坂学問所の儒官古賀精里に師事。24歳で朝鮮通信使の応接に随行した折、一行から書画や詩文を絶賛され、一躍有名に。後に弘道館の教授となり、大隈重信、副島種臣、大木喬任、江藤新平らを育てた。
 
写真:草場佩川作「雪中竹図」多久市郷土資料館所蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 

西洋砲術をもたらした 平山 醇左衛門(ひらやま じゅんざえもん)

平山 醇左衛門
[1810-1843]
 
幕末、武雄領主鍋島茂義の命により、西洋砲術の第一人者であった長崎の高島秋帆に学び、他藩に先駆けて西洋の技術を佐賀にもたらした。その後、平山の主導のもと佐賀藩では本格的な軍事改革が進められた。しかしその最中、高島をめぐる疑獄事件に連座したのか、34歳という若さで打首となった。
 
写真:「モルチール臼砲」 武雄鍋島家資料 武雄市蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 

江戸幕府後期の名老中 小笠原 長行(おがさわら ながみち)

小笠原 長行
[1822-1891]
 
 唐津藩主小笠原長昌の長男として誕生したが、長昌死去(1823年)後は、幼少のため庶子とされ、藩主に就くことはなかった。やがて藩主の名代となり、幕府の若年寄に抜擢。老中に昇進し、徳川家茂、慶喜のもとで内政外交に手腕を発揮した。戊辰戦争では旧幕府側で徹底抗戦を主張し、箱館まで転戦した。
 
写真:唐津市所蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 

近代書道の祖 中林 梧竹(なかばやし ごちく)

中林 梧竹
[1827-1913]
 
明治三筆の一人。小城藩士の子として生まれ、その才能は幼少のころから知られる。19歳の時、藩命により江戸で書を習う。
小城に戻り30歳で藩校の教師などを務めた。廃藩置県を機に書の道に専念する。56歳で中国留学した後は、独自の芸術性豊かな書風を確立。その書は、今なお人々を惹きつけている。
 
画像提供:小城市立中林梧竹記念館
 
 
 
 
 
 
 

岩倉使節団として欧米視察 山口 尚芳(やまぐち ますか)

山口 尚芳
[1839-1894]
 
通称「範蔵」。若くして長崎で洋学や英語を学ぶ。岩倉使節団の副使として欧米12カ国を視察し、世界から日本を見る目を培った。その後も初代会計検査院長、元老院議官、参事院議官、高等法院陪席裁判官など要職を歴任。地元武雄市花島では、1930年に顕彰碑が立てられ、毎年1月「範蔵祭」が開かれている。
 
写真:『岩倉大使一行写真』より 武雄市蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 

近代歴史学の先駆者 久米 邦武(くめ くにたけ)

久米 邦武
[1839-1931]
 
 1871~73年に岩倉使節団の大使随行として、欧米12ヵ国の歴訪の記録を担当し、1878年に公式報告書「米欧回覧実記」を刊行した。その後、歴史学界で活躍し、東京帝国大学の教授を務め、特に日本古代史の科学的研究に業績を残した。
 
写真:久米美術館所蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 

初代沖縄県令 鍋島 直彬(なべしま なおよし)

鍋島 直彬
[1843-1915]
 
 鹿島藩最後の藩主、鍋島直彬は、明治5(1872)年、供とわずか3人でアメリカ視察に出発。9カ月にわたり活力みなぎる現地の司法や立法や行政を学び、『米政撮要』を出版した。その後、廃琉置県後の初代沖縄県令に着任。旧慣温存を表明し、勧学・勧業を重点政策として沖縄の基盤づくりに貢献した。
 
写真:高木背水作「鍋島直彬像」 佐賀県立美術館蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日本の工芸デザインの祖 納富 介次郎(のうとみ かいじろう)

納富 介次郎
[1844-1918]
 
 画力を買われて幕府の上海視察に同行し、のちの佐賀藩の中国貿易に関与。ウィーン万博に出展のために渡欧し、陶磁器など工芸の最新知識を身に付け、フィラデルフィア万博でも活躍。工芸技術の向上と技術者の育成を目指し、金沢工業学校・富山県工芸学校・香川県工芸学校・佐賀県立有田工業学校(現在の有田工高)を設立した。現在4校は姉妹校として交流している。
 
写真:納富介堂翁事蹟(大正6年刊)より
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日本近代建築の父 辰野 金吾(たつの きんご)

辰野 金吾
[1854-1919]
 
唐津出身で、帝国大学工科大学学長・建築学会会長を務め、伊東忠太・関野貞など多くの人材を輩出した。西洋建築学を学び、設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。「中央停車場(現東京駅)」「日本銀行本店」「武雄温泉新館・楼門」など日本を代表する作品を手掛け、日本近代建築の礎を築いた。
 
写真:唐津市教育委員会所蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

沖縄の近代化に貢献 齋藤 用之助(さいとう ようのすけ)

齋藤 用之助
[1859-1933]
 
明治12(1879)年、警察官として沖縄県に赴任。その後、行政職に転じ、道路整備や実業教育、産業振興など多岐にわたり沖縄の近代化に貢献。明治36(1903)年の硫黄鳥島噴火の際は、島尻郡長として一人の犠牲者も出さずに全島民700名を久米島へ移住させた。大正4(1915)年の退官時には、県民1万人による送別会が盛大に催された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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