年号 | 西暦 | 佐賀藩の動き | 全国の動き |
文化元 | 1804 | | ロシア レザノフ長崎来航、通商要求 |
文化3 | 1806 | 古賀穀堂
弘道館教授に任命される
古賀穀堂 鍋島斉直に「学政管見」を提出 | |
文化5 | 1808 | フェートン号事件により第9代藩主鍋島斉直に閉門の罰 | 間宮林蔵
樺太調査
フェートン号事件 |
文化11 | 1814 | 鍋島直正 誕生 | |
文政2 | 1819 | 古賀穀堂 直正の御側頭となる | |
文政3 | 1820 | 直正 学齢に達し古賀穀堂が侍講になる | |
文政8 | 1825 | 直正 将軍家斉の娘(盛姫)と結婚 | 異国船打払令 |
文政11 | 1828 | 子年の大風(シーボルト台風)で大きな被害 | シーボルト事件 |
天保元 | 1830 | 直正
数え年17歳で第10代佐賀藩主に就任
粗衣粗食令
直正 長崎でオランダ商船に乗り込み見学
古賀穀堂を御年寄相談役に任用 | |
天保2 | 1831 | 古賀穀堂『済急封事』を提出 | |
天保3 | 1832 | 向こう5年間の城中諸役の倹約令を公布 | |
天保4 | 1833 | | 天保の大飢饉(〜39) |
天保5 | 1834 | 古賀穀堂
御年寄となる
医学館設立(八幡小路) | |
天保6 | 1835 | 佐賀城二の丸焼失、本丸御殿再建を表明 | |
天保7 | 1836 | 古賀穀堂 死去(享年60歳) | |
天保8 | 1837 | 岩田砲術練習場で大砲の実射試験 | 大塩の乱
モリソン号事件 |
天保9 | 1838 | 佐賀城本丸御殿再建
本丸内に藩政組織を置き藩政改革を本格化 | |
天保10 | 1839 | 第9代藩主斉直 死去(享年60歳) | 蛮社の獄 |
天保11 | 1840 | 藩校弘道館移転・拡張
岩田砲術練習場で高島流砲術演習を実施 | 清国でアヘン戟争が起きる(〜42) |
天保12 | 1841 | | 天保の改革 |
天保13 | 1842 | | 天保の薪水給与令 |
弘化元 | 1844 | 火術方を設け、砲術研究を開始
直正 オランダ軍艦 パレンバン号を視察 | オランダ国王開国勧告(バレンバン号来航) |
弘化3 | 1846 | 直正
嫡子淳一郎(後の第11代藩主鍋島直大)誕生 | アメリカ ビッドル浦賀に来航、通商要求 |
弘化4 | 1847 | 直正の正室盛姫 死去(享年37歳) | |
嘉永元 | 1848 | 佐野常民 大阪の緒方洪庵の適塾に入門 | |
嘉永2 | 1849 | 佐野常民
江戸の伊東玄朴の象先堂に入門
直正 嫡子淳一郎に種痘を施す
直正 田安家の筆姫と再婚 | |
嘉永3 | 1850 | 本島藤太夫を伊豆韮山へ派遣
長崎の伊王島、神ノ島両島築堡の起工決定
「文武課業法」制定
築地の大銃鋳立方(築地反射炉)で鉄製大砲製造に着手
吉田松陰 弘道館で枝吉神陽に会う
枝吉神陽らによる義祭同盟の結成 | |
嘉永4 | 1851 | 医学寮と蘭学寮を併設
医業免札制度開始
佐野常民 中村奇輔ら技術者4人を伴い佐賀に戻る | 島津斉彬薩摩藩主となり、集成館事業開始 |
嘉永5 | 1852 | 鉄製大砲の鋳造に成功
精煉方設置 | |
嘉永6 | 1853 | 伊王島、神ノ島両島築堡備砲完備
幕府から鉄製大砲製作の依頼、50門の注文
公儀石火矢鋳立所(多布施反射炉)設置
直正 長崎奉行へ蒸気軍艦購入を申請、許可される | アメリカ ペリーが浦賀に来航
ロシア プチャーチンが長崎に来航
大船建造の禁の廃止 |
安政元 | 1854 | 直正
オランダ船スンビン号(観光丸)を見学
蒸気船製造の意思決定 | ペリー 再来航、日米和親条約締結 |
安政2 | 1855 | 長崎海軍伝習所に大量派遣
精煉方で蒸気車雛形と蒸気船雛形が完成 | 長崎海軍伝習所設置
薩摩藩 日本初の蒸気船「雲行丸」の試運転に成功 |
安政3 | 1856 | 弘道館内生寮生徒に火術方訓練開始
江藤新平「図海策」で開国論を唱える
島義勇 直正から蝦夷地調査の命を受け佐賀を出発 | アメリカ総領事ハリス
下田に着任
吉田松陰 松下村塾で教授開始
長州藩 反射炉の雛形完成 |
安政4 | 1857 | 島義勇蝦夷地・樺太の謁査に参加
オランダから洋式帆船「飛雲丸」購入 | 佐賀藩
伊豆韮山の反射炉建設に協力、完成
薩摩藩 反射炉築造に成功(2号反射炉) |
安政5 | 1858 | 三重津に御船手稽古所(のちの三重津海軍所)設置
直正 観光丸にて薩摩を訪問し、島津斉彬と会談
長崎で帆船「晨風丸」建造
オランダから初の蒸気船「電流丸」購入
医学寮を移し好生館と改称 | 日米修好通商条約
安政の大獄(〜59) |
安政6 | 1859 | 幕府から蒸気船「観光丸」を預かる | |
安政7 | 1860 | | 桜田門外の変(大老井伊直弼 暗殺される) |
文久元 | 1861 | 蘭学寮が弘道館内に移る
直正 隠居し(号「閑叟」)、鍋島直大が第11代藩主となる | ロシア軍艦ポサドニック号対馬占領事件 |
文久2 | 1862 | 軍制改革を実施
江藤新平 脱藩
技吉神陽 死去(享年41歳)
直正 初めて参内 | 坂下門外の変
文久の改革、島津久光幕政改革を求める
和宮降嫁
生麦事件 |
文久3 | 1863 | 直正
将軍家茂に謁見し
文武修業と時勢に関する助言を求められる
直正夫人筆姫 江戸を発し、佐賀に到着
三重津で幕府注文の蒸気機関を完成 | 長州藩下関外国船砲撃
薩英耽争
八月十八日の政変(七卿落ち)
高杉晋作 奇兵隊結成 |
元治元 | 1864 | イギリスから蒸気船「甲子丸」購入
直正 参内 | 禁門の変
第一次長州征討
四国艦隊下関砲撃 |
慶応元 | 1865 | 三重津造船所にて日本初の実用蒸気船「凌風丸」完成
長崎に「蕃学稽古所」(のちの「致遠館」)を設立 | |
慶応2 | 1866 | 将軍家茂
親書をもって直正に上阪を要請
イギリスから蒸気船「皐月丸」購入
一橋慶喜 親書をもって直正に上京を要請
直正 伊万里にてボードインの診察を受ける | 薩長同盟(坂本龍馬、中岡慎太郎同盟成立に奔走)
第二次長州征討
孝明天皇 崩御 |
慶応3 | 1867 | 第2回パリ万博に参加(佐野常民、野中元右衛門、深川長右衛門、小出千之助、藤山文一を派遣)
佐野常民 オランダで軍艦発注
副島種臣、大隈重信 脱藩上京
直正 大阪で慶喜と会談し、長州処分の意見を述べる | パリ万博
山内容堂 大政奉還の建白書を将軍慶喜に提出
坂本龍馬、中岡慎太郎 暗殺される
ええじゃないか発生
大政奉還
王政復古の大号令、小御所会議、
江戸幕府滅亡 |
明治元 | 1868 | 佐賀藩兵
東征軍北陸道先銭として従軍
江藤新平、大木喬任連署で東京奠都等に関する建言書提出
上野戦争に参戦 アームストロング砲の使用
武雄隊 羽州戦争に参戦
長崎警備の役目を免ぜられる
大木喬任 東京府知事に就任
直正 上京し太政官に出仕 | 鳥羽・伏見の戟い(戊辰戟争)
五箇条の誓文
江戸城無血開城
奥羽越列藩同盟結成
上野戟争
江戸を東京と改称
明治天皇即位の礼
明治と改元
会津藩降伏、庄内藩降伏 |
明治2 | 1869 | 直大
薩長土の藩主とともに版籍奉還を上奏
直正 副島、江藤等を従え藩政改革のため京都を発し帰佐の途に就く
直正 開拓使長官、島義勇 開拓判官に任命される
直正 大納言に就任
直正 病気療養のため溜池邸から永田町の新邸に移る | 薩長土肥の藩主版籍奉還を上奏
東京行幸
箱館五稜郭の戦い(戊辰戦争終結)
版籍睾還
開拓使設置 |
明治3 | 1870 | | 工部省設置 |
明治4 | 1871 | 鍋島直正
死去(東京永田町の新邸にて 享年58歳)
副島種臣 外務卿
島義勇 秋田県権令
大木喬任 民部卿、文部卿(初代) | 廃藩置県
岩倉使節団米欧へ出発
郵便開業 |
明治5 | 1872 | 江藤新平
司法卿(初代)
副島種臣 外務卿としてマリア・ルス号事件にあたる
伊万里県を佐賀県と改称 | 学制公布
新橋・横浜間鉄道開通 |
明治6 | 1873 | 佐野常民
ウィーン万博副総裁
大隈重信 大蔵卿
明治六年政変で西郷隆盛、板垣退助らとともに江藤新平、副島種臣下野 | ウィーン万博
岩倉遣欧使節団帰国
明治六年政変 |
明治7 | 1874 | 板垣退助、後藤象二郎らとともに副島種臣、江藤新平「民撰議院設立建白書」を提出
佐賀戦争にて江藤新平(享年41歳)、島義勇(享年53歳)ら処刑 | 自由民権運動
佐賀戦争(佐賀の乱) |
明治8 | 1875 | | 元老院・大審院設置 |
明治9 | 1876 | 佐賀県を廃し、三瀦県に合併 その後順次長崎県に編入 | 神風連の乱、秋月の乱 |
明治10 | 1877 | 西南戦争に際し、佐野常民ら「博愛社」(のちの「日本赤十字社」)を設立 | 西南戟争
木戸孝充 死去(享年45歳)
西郷隆盛 死去(享年51歳) |
明治11 | 1878 | | 大久保利通
暗殺される(享年49歳) |
明治13 | 1880 | 大木喬任
元老院議長(初代)
佐野常民 大蔵卿 | |
明治14 | 1881 | 大隈重信 明治14年の政変で下野 | 明治十四年の政変、国会開設の勅綸、板垣退助自由党結成 |
明治15 | 1882 | 大隈重信
立憲改進党結成
大隈重信「東京専門学校」(のちの「早稲田大学」)開校 | 大隈重信
立憲改進党結成 |
明治16 | 1883 | 佐賀県が長崎県から分離独立 | 岩倉具視
死去(享年59歳) |