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ハンセン病について正しく理解しましょう

最終更新日:
 

ハンセン病について

ハンセン病とは、「らい菌」に感染することで起こる病気です。

 

「らい菌」は感染力が弱く、非常にうつりにくい病気で、現在の日本の衛生状態を考えると、感染することも発病することもほぼありません。

また感染症なので、遺伝することはありません。

 

 感染し発病すると、手足などの末梢神経が麻痺し、皮膚に様々な病的な変化が起こることがあります。

しかし現在では治療法が確立され、早期発見と適切な治療により後遺症を残すことなく治すことができるようになっています。

 

ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれていました。「らい」という言葉は長い歴史の中で偏見や差別を伴って使われてきた経緯があり、平成8年(1996年)「らい予防法」が廃止されたとき、「らい」に付随する悪いイメージを解消するため、「らい菌」を発見したノルウェーのハンセン医師の名前をとって「ハンセン病」と改められました。

 

ハンセン病問題

  

ハンセン病の歴史

ハンセン病の歴史は紀元前に始まり、日本では、「日本書紀」や「今昔物語集」に「らい」の記述があり、奈良、平安時代には仏教者によって患者の救済が行われ、鎌倉時代には日本最古のハンセン病の施設が奈良県に開いたという記録が残されています。
 
19世紀後半になると、ハンセン病はコレラやペストと同じような恐ろしい伝染病と考えられるようになりました。
病気の進行に伴い、顔や手足などの目立つところが変形したり不自由になったりすること、有効な治療薬が開発されるまでは「不治の病」であると考えられていたこと、同一の家族内で発病することがあり遺伝病と誤解されていたこと、また、患者を強制的に療養所に隔離させたことから「強い感染力を持った恐ろしい病気」であるといった誤ったイメージが定着してしまったのです。
 
 

隔離政策のはじまり

日本では当初、明治40年(1907年)に「癩予防ニ関スル件」が制定されたことにより、各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれるハンセン病患者の受け皿として療養所が設置されました。この背景として、家を出て放浪する患者が屋外で生活しており、それが国辱とみなされたことがあります。
 
その後、戦時体制に向かう中で、昭和6年(1931年)「癩予防法」が制定されました。各地に療養所が建設され、療養所への全てのハンセン病患者の強制収容が進められていきました。
全国各地でハンセン病患者をゼロにすることを目的とした「無らい県運動」が官民一体となって活発に行われるようになりました。
 
昭和28年(1953年)、「癩予防法」は「らい予防法」に改正されました。しかし、治療薬が普及しているにも関わらず強制隔離を続け、退所規定が設けられませんでした。一度療養所に入所したら一生そこから出ることができなかったのです。
 
 

患者や家族への偏見・差別

ハンセン病患者は療養所に入所してからも、家族に迷惑をかけないようにと実名を捨て、偽名を名乗る人もいました。また療養所内では断種政策が行われていたため、結婚しても子どもを産むことが許されなかったり、家族や故郷とのつながりが途切れてしまったため、病気が治っても親や兄弟姉妹と一緒に暮らすことができなかったり、故郷の墓に埋葬してもらえなかったりという生活を、ハンセン病患者は長い間強いられてきました。
 
また、「無らい県運動」が行われるなかで、保健所の職員などが、ハンセン病患者の住居を大掛かりに消毒したことにより、ハンセン病患者だけでなく、その家族たちへの偏見、差別もさらに高まっていきました。近所付き合いから疎外され、結婚や就職を拒まれたり、住み慣れた土地から引っ越しを余儀なくされたりするなどの差別も受けました。
 

隔離政策のおわり

ハンセン病患者の隔離政策が終わったのは、「らい予防法」が廃止がされた平成8年(1996年)です。
 
平成10年(1998年)入所者などによって、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟が提起されました。「らい予防法」は日本国憲法に違反するものであるとして国家賠償を求める裁判を起こし、平成13年(2001年)に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出されました。
国は控訴断念を決めるとともに、患者、元患者に謝罪しました。また、佐賀県知事も療養所を訪ね、国の隔離政策に県が協力してきたことについて謝罪を行いました。
その後、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が施行され、補償金の支給や名誉回復が図られることとなりました。
 
さらに、令和元年(2019年)には、ハンセン病元患者の家族に対しても、隔離政策により極めて厳しい偏見・差別が存在したことを国が認め、謝罪しました。「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が施行され、補償金の支給や名誉回復が図られることとなりました。
  
佐賀県も国の強制隔離政策に従い、「無らい県運動」を行ってきた過去があり、大いに反省すべき事実です。
このような過ちを繰り返さないよう、ハンセン病についての正しい知識理解の普及啓発を行っていきます。
 
 
 

◎ハンセン病問題はまだ終わっていない

約90年にもわたる誤った国の政策によって「ハンセン病は恐ろしい、治らない」という認識が人々に植え付けられ、今なおハンセン病に対する偏見や差別は根強く残っています。
  
隔離政策が終わってからも、療養所で生活をされている入所者は、すでにハンセン病は治っていても、高齢であることや後遺症による身体障害があり介護を必要とする人が多くなっていることから、療養所を出て生活することが困難になっています。また社会では今なおハンセン病に対する偏見や差別が残っているために、療養所の外で暮らすことに不安を感じている人もいます。
     
療養所を退所して社会復帰した人もいますが、その数は決して多いとはいえません。社会復帰した人のなかには、長年の入所により社会生活体験をほとんど有していないことや、社会にまだ根強い偏見が残っていることなどの理由から、療養所へ再入所される方もいらっしゃいます。
療養所で亡くなった人の遺骨の多くが、いまも実家のお墓に入れないまま、各療養所内の納骨堂に納められています。
 
 
 
ハンセン病療養所で生活されている方々の過去の時間を取り戻すことはできませんが、これからの生活への支援は、私たちに課せられた重要な課題です。
ハンセン病について正しい知識を身に付け、理解することで、偏見や差別をなくすことにつながります。
私たちがハンセン病問題について関心をもち、ハンセン病問題を考えることからはじめてみましょう。

   

 
 

ハンセン病をめぐる主な出来事

 

近世~中世

・体の一部が変形することなどから、差別の対象とされる

明治6年(1873年)

・ノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見

 明治40年(1907年)

・「癩予防ニ関スル件」公布

放浪するハンセン病患者の療養所への収容を目的として制定される。

 昭和6年(1931年)

・「癩予防法」公布 

国立の療養所が各地に建設され、在宅患者など、すべてのハンセン病患者の隔離がすすめられる。

ハンセン病患者をゼロにする目的で「無らい県運動」が行われ、患者を療養所へ強制的に入所させる運動が官民一体となり社会的にすすめられる。

 昭和18年(1943年)

・ アメリカで「プロミン」という薬がハンセン病治療の特効薬であることが報告される。

 昭和21年(1946年)

・ 国内でハンセン病治療に「プロミン」の使用がはじまる。

ハンセン病は治療をすれば治る病気になったが、患者の強制収容は続けられた。

 昭和28年(1953年)

・「らい予防法」公布

「癩予防法」を改正した法律。患者隔離政策は継続され、退所規定が設けられなかった。

 昭和29年(1954年)

・黒髪校事件

熊本県のハンセン病療養所入所者の子どもが保育所から地元の黒髪小学校に入学するときに、PTAが登校阻止や授業拒否を行った。 

 平成8年(1996年)

・「らい予防法」廃止

「らい予防法」の見直しが遅れたことなどについて、厚生大臣が初めて謝罪。

 平成13年(2001年)

 ・ハンセン病国家賠償請求訴訟熊本地裁判決

・「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」施行

「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で国の強制隔離政策を憲法違反とする原告勝訴判決が言い渡される。

「国は控訴せず」と、内閣総理大臣が表明。

 平成15年(2003年)

・ホテル宿泊拒否事件

熊本県のホテルがハンセン病の元患者であることを理由に入所者の宿泊を拒否した事件。

 平成21年(2009年)

・「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」施行

療養所施設を地域に開放し地域住民の診察を認めるなど、入所者の社会復帰を後押しする内容が盛り込まれる。

6月22日を「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」として厚生労働大臣主催の追悼行事を実施。

 令和元年(2019年)

・「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」施行

国が、患者・元患者の家族に対しても極めて厳しい偏見・差別が存在した事実を認める。家族への補償制度を創設し、名誉回復・社会復帰支援の内容が盛り込まれる。

 

 

 

ハンセン病療養所

 ハンセン病療養所は、「らい予防法」が廃止されるまでは、ハンセン病患者を隔離するのための施設でしたが、現在ではハンセン病患者や回復者の方の生活の場となっており、療養所は地域に開放された場となっています。

 

 現在、全国には14カ所の療養所があり、全国で約900名の入所者の方がいらっしゃいます。

 佐賀県出身者の方は9名で、国立療養所菊池恵楓園及び国立療養所星塚敬愛園で生活をされています。(令和4年5月1日現在)

 

 

 

 入所者数

 平均年齢

 国立療養所 13カ所

   927名

 87.6歳 

 私立療養所 1カ所

   2名

  90.0歳

 

  

・国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)

 明治42年(1909年)九州7県連合立九州癩療養所として開設。昭和16年(1941年)国に移管され、国立療養所菊池恵楓園と改称。

 

 ・国立療養所星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)

 昭和10年(1935年)開設。


 

佐賀県での取り組み

 

里帰り事業

 長い間、故郷に帰ることが叶わなかった佐賀県出身入所者の方の故郷への思いを支えるため、入所者の方に県内の思い出の場所等を巡っていただきます。

 

 

県民交流事業

ハンセン病に対する正しい知識の普及を目的として、県民から参加者を募集して国立療養所菊池恵楓園へ訪問し、入所者の方と県民の交流会を行っています。県内の中高生や婦人会の方など幅広い年代の参加者が、入所者の方と交流を楽しみます。
 

  

菊池恵楓園の「希望の鐘」復元(平成29年3月27日)

希望の鐘

国立療養所菊池恵楓園のシンボルであった「希望の鐘」は、療養所を退所される方へお見送りの気持ちを込めて鳴らしていたものでした。しかし古くなり音が鳴らなくなってしまっため、撤去されました。

佐賀県は「ハンセン病問題を忘れない」という気持ちを込めて、この鳴らなくなった鐘を復元しました。社会交流会館前に設置されています。


 

 

 
 

関連資料、関連ページ

●ハンセン病を正しく理解するためのパンフレット「ハンセン病の向こう側」(厚生労働省)

 PDF ハンセン病の向こう側 別ウィンドウで開きます(PDF:2.04メガバイト)

 

ハンセン病に関する情報ページ別ウィンドウで開きます(外部リンク) (厚生労働省ホームページ)

   

6月22日はらい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日です別ウィンドウで開きます (佐賀県ホームページ)

 

ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給制度が創設されました別ウィンドウで開きます (佐賀県ホームページ)



 


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