鉄道換線請願書 (明治26年1月17日) 九州鉄道がすでに許可を受けていた佐賀-武雄-佐世保間の予定線に対し、小城・東松浦・西松浦郡の有志者114名が、その地方に鉄道が通過するよう線路変更を希望した請願書。 有志者の中には、大島小太郎、宮島伝兵衛、後の唐津鉄道・北九州鉄道の草場猪之吉の名も見えます。 | 杵島軌道株式会社 (大正8年~大正14年) 軌道とは道路に敷設された鉄道のことです。 大正8年に山口郡六ほか40名が発起人となり、軌道敷設特許願が機関車図等とともに提出されました。 しかし、申請の線路が国鉄の予定線(現在の肥前山口-肥前竜王間)に並行していたり、西方面を走る祐徳軌道への打撃を懸念してか、許可が下りることはありませんでした。 | 筑後川橋梁図面 (昭和7年) 「佐賀線関係簿冊」には第四工区(佐賀駅-諸富間)と第三工区(諸富-花宗川間)についての文書が綴られています。 筑後川橋梁は昇降式、花宗川橋梁は跳開式の可動橋でした。 |