「検疫官及び検疫委員任命書」 (明治28年、『判任官以下黜陟簿』より) 明治の始めから終戦時にいたるまで、伝染病対策など衛生行政の現場で活躍していたのは警察でした。県は、警部を検疫官に、巡査部長や巡査を検疫委員に任命し、その職務にあてましたが、本人自身が感染し殉職する者もありました。 明治28年、コレラ蔓延の徴候がある東松浦郡入野村高串地区に派遣された若き巡査・増田敬太郎も、伝染病対策に奔走した警察官の1人でした。自らも感染し殉職した彼ですが、その献身的な行為により村民の崇敬心を得て、後に神社に祀られることとなりました。 | 「保健所経費ニ関スル件照会」 (昭和12年、『県立保健所建築工事予算調書』より) 昭和12年制定の「保健所法」により、保健指導機関として保健所が全国的に設置されることになりました。 本県では設置するにあたり、他府県へ保健所設置に要する経費をたずね、10数の県から回答をもらっています。昭和13年には県下初の保健所となる唐津保健所が開設しました。 |