このコーナーでは、近年佐賀県教育委員会が実施した発掘調査の成果を紹介します。
平成30年度埋蔵文化財発掘調査の紹介【古瓶屋下窯跡】
遺跡名:古瓶屋下窯跡
内容時代:近世陶器窯跡
所在地:伊万里市脇田町 地内
調査期間:2018年5月~12月
調査面積:1140平方メートル
事業原因:西九州自動車道建設
事業主体:国土交通省九州地方整備局佐賀国道事務所
調査主体:佐賀県教育庁文化財課
古瓶屋下窯跡は、伊万里市脇田町に位置する近世の陶器窯の跡です。この窯跡は、おもに陶器の甕や擂鉢、碗などを焼いた江戸時代後期の登り窯です。窯跡は、後世の開発により大きく壊されていましたが、製品を詰めて焼いた部屋(焼成室)からは、当時焼かれた陶器のほか、製品を焼成する際、台として使用した窯道具が多数出土し、窯操業時の様子をうかがうことができました。
平成29年度埋蔵文化財発掘調査の紹介【六千間土居跡】
遺跡名:六千間土居跡
内容時代:近世干拓堤防跡
所在地:杵島郡白石町大字福富下分
調査期間:2018年2月~3月
調査面積:98平方メートル
事業原因:有明海沿岸道路建設(武雄福富線拡幅)
事業主体:県土整備部道路課(有明海沿岸道路整備事務所)
調査主体:佐賀県教育庁文化財課
六千間土居跡は、杵島郡白石町大字福富下分にあり、六角川と廻里江川に挟まれた標高2m前後の近世の干拓地に位置します。六千間土居は江戸時代後期(18世紀後半)に佐賀藩によって築かれた潮受堤防で、県内で初めて石積みを用いた潮受堤防と言われています。
今回の発掘調査では、土居本体と土坑が発見されました。土居本体は赤石の張石、堤体盛土、胴木、木杭等で構成されていました。また、土居構築に先行する柵(しがらみ)遺構と思われる、丸太杭、竹杭及び竹杭に直交する横木が発見されました。
今回、発掘調査を実施した範囲は98平方メートルと狭い範囲ですが、往時の六千間土居の築堤方法をうかがい知ることができる貴重な調査成果が得られました。
詳しくは 六千間土居跡 (PDF:2.83メガバイト)をご覧ください。
平成28年度埋蔵文化財発掘調査の紹介【 袴野城山城跡 】
遺跡名:袴野城山城跡(はかまのじょうやまじろあと)
内容・時代:中世山城跡
所在地:武雄市東川登町大字袴野字古舘
調査期間:2016年9月~12月
調査面積:4,360平方メートル
事業原因:九州新幹線西九州ルート建設
事業主体:(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構
調査主体:佐賀県教育庁文化財課
袴野城山城跡は、武雄市東川登町に築かれた中世の山城の跡です。発掘調査では、山の尾根上や斜面を切り盛りして作られた平場である「曲輪(くるわ)」部分において、多くの柱穴が見つかりました。その一部は直線的かつ概ね等間隔に並んでおり、防御のための柵列である可能性があります。また、尾根上の平坦面を確保するための盛土や、防御性を高めるための土塁や堀切など、城の整備状況や改修の様子などが明らかとなりました。
詳しくは、 袴野城山城跡 (PDF:734.3キロバイト)をご覧ください。
平成28年度埋蔵文化財発掘調査の紹介【
甕屋窯跡 】
遺跡名:甕屋窯跡(かめやかまあと)
内容・時代 :近世陶器窯跡
所在地:武雄市東川登町大字袴野字亀屋
調査期間:2016年4月~8月
調査面積:1,580平方メートル
事業原因:九州新幹線西九州ルート建設
事業主体:(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構
調査主体:佐賀県教育庁文化財課
甕屋窯跡は、武雄市東川登町に位置する近世の陶器窯の跡です。今回の調査では2基の登り窯の窯跡が見つかり、製品を焼く焼成室の床面や窯壁の一部が検出されました。また、失敗した製品などを捨てる場所である物原の調査により、陶器の甕を中心に多くの製品を発見することができました。調査の結果、17世紀の半ばから18世紀後半頃まで陶器の生産が行われていたことが明らかになりました。
詳しくは、 甕屋窯跡 (PDF:424.7キロバイト)をご覧ください。
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