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県指定(建造物の部)01

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佐賀県重要文化財(建造物)の部 

 

佐賀県重要文化財 香椎神社四脚門(かしいじんじゃしきゃくもん)

昭和33年1月23日指定
佐賀市久保田町徳万 香椎神社
建造物


香椎神社四脚門
 香椎神社は、安元3年(1177)ごろ、この地の地頭窪田因幡守藤原利常が、久保田村矢櫃の森という所に創建したが、天明ごろ現在地へ社地替えとなったと伝えられている。
 この門は、境内に建つ1間1戸の四脚門で、神門あるいは楼門と呼ばれている。自然石を用いた礎石に角柱を建て、その柱に頭貫を通し、三斗、実肘木を組み、その上に桁を置いた簡単な構架である。屋根は切妻造の本瓦葺である。
 意匠は雄大であり、蟇股やその他の彫物には、桃山時代の特徴である華麗かつ豪壮の余韻も認められる。この門の建立年代についての記録はないが、その構造様式からみて、江戸時代初期ごろのものと推定される。
 なお、全体的に腐朽の度が著しかったため、昭和37年にすべてを解体し、腐朽した部材を補修したり、取り替えたりしたうえで改めて組立てるという修理を行っている。

 

 

 

佐賀県重要文化財 鹿島城赤門及び大手門(かしまじょうあかもんおよびおおてもん)

昭和33年1月23日指定
鹿島市大字高津原
建造物



 鹿島支藩2万石の居城であった鹿島城は、もとは鹿島市常広に築かれていた。しかし、たびたびこの地が水害を受けたので、文化3年(1806)に幕府の許可を得て、現在地に築城を始め、翌文化4年に完成したものである。
 本城は、明治7年(1876)の佐賀の役において、城の主要な建物をほとんど焼失してしまい、当時のまま残存しているものは、この赤門と大手門のみとなっている。
 赤門は、屋根が切妻造り、桟瓦葺きの形式の門で、正面右側には番所が付く。丹塗りである。現在は、県立鹿島高等学校の校門となっている。大手門は、屋根が切妻造り、本瓦葺きのいわゆる高麗門の形式の門である。当初は黒塗りであったものを、近年、丹塗りに変えられている。また、両門ともに続塀があり、約1mの石垣の上に、さらに約1mほどの高さまで漆喰を塗り固め、桟瓦葺の屋根を置いている。

鹿島城赤門及び大手門鹿島城赤門及び大手門

赤門(左)    大手門(右)

 

 

佐賀県重要文化財 若宮八幡宮神殿(わかみやはちまんぐうしんでん)

昭和33年1月23日指定
多久市多久町字宮城 若宮八幡宮
建造物


若宮八幡宮神殿
 若宮八幡宮は、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝よりこの多久荘を賜った多久太郎宗直が、建久4年(1193)に創始したと伝えられている。
 神殿は、桁行3間、梁間3間のいわゆる三間社流造りである。石垣積に亀腹を施した基壇の上に建っており、周囲には勾欄付きの縁がめぐる。屋根は銅板葺きで、千木、勝男木を置く。柱は円形で、これに頭貫を通し、三斗、肘木を置いた簡単な構架である。妻飾りは、二重虹梁大瓶束というやや複雑な構造である。また、欄間の蟇股やぼたん、鳳凰、雲形などの透彫は、極彩色であり、優美さに富む。この神殿の奥には内陣が構えられており、その中央部に一間社流造、柿葺の小さな客殿を安置している。
 棟札写によると、元亀3年(1572)に龍造寺和泉守長信がここを再興して以来、この神殿は幾度も修理が行われているようである。しかしながら、その基本にはなお、江戸時代初期のものが残っているといわれる。

 

佐賀県重要文化財 竹崎観音石造三重塔(たけざきかんのんせきぞうさんじゅうとう)

昭和36年3月24日指定
藤津郡太良町大浦竹崎 竹崎観音
建造物


竹崎観音石造三重塔
 竹崎観音は、有明海西岸に位置する竹崎島にあり、真言宗仁和寺派の古寺として知られる。本尊である秘仏の観音菩薩は、今も広く信仰されている。
 境内には、凝灰岩製の三重塔が2基ある。ほぼ完形であるが、相輪の一部と基壇を欠いている。
 それぞれ基礎の格狭間のなかに、ひとつには蓮華文様が、もうひとつには孔雀文様が、それぞれ半肉彫りされている。蓮華文様塔の現存高は1.69m、孔雀文様塔は1.73m、また基礎の大きさはともに幅約0.6m、高さ約0.3mであり、2基の塔はほぼ同じ大きさである。
 蓮華文様塔の軸部には、4面ともに龕が彫り込まれ、そのなかにさらに如来坐像が半肉彫りで表わされている。孔雀文様塔の方は、前後両面に同じく龕とそのなかに如来坐像が彫り出されているが、左右側面には、扉の閉じた堂一部が表わされている。
 これら2基の石塔のように、蓮華文様や孔雀文様のある近江様式とよばれる石塔は、九州でもその類例が極めて少なく価値が高い。無銘であるが、その構造や様式などから、鎌倉時代末期ごろの作とされている。

 

 

佐賀県重要文化財 石造肥前鳥居 天正十八年の銘あり(せきぞうひぜんとりい てんしょう18ねんのめいあり) 

昭和39年5月23日指定
唐津市厳木町厳木 室園神社
建造物


石造肥前鳥居 天正十八年の銘あり
 室園神社は、天正2年(1574)11月、獅子ヶ城主鶴田越前守が蔵王権現をここに奉ったことに始まるものとして伝えられている。
 この神社の長い石段を登って行くとその中程に、小さな石造の鳥居が建っている。高さ2.38m、笠木の長さ2.74mである。笠木、島木、および貫はともに3本継、柱は2本継である。県内には、地方色の強い石造肥前鳥居が広く分布しているが、そのなかでもこの室園神社の鳥居は、最も古い造立銘を有する。次のような銘が陰刻されている。「願主 鶴田上総介源賢天正十八年寅庚十一月吉日」
 また、神殿に石造狛犬が1対置かれているが、これも鶴田上総介が奉納したものであり、県内で最も古い造立銘を有する狛犬として貴重である。

 

 

佐賀県重要文化財 石造肥前鳥居 慶長二年の銘あり(せきぞうひぜんとりい けいちょう2ねんのめいあり)

昭和39年5月23日指定
小城市小城町池の上 牛尾神社
建造物


石造肥前鳥居 慶長二年の銘あり
 牛尾神社は、延暦15年(796)9月桓武天皇の勅宣により創始したと伝えられる、平安時代初期の古社である。
 この神社には、慶長2年(1597)、寛文元年(1661)の銘のある2基の鳥居があるが、慶長2年銘のものは、この神社の二の鳥居とされている。 高さ3.25m、笠木の長さ3.6mである。笠木・島木・柱および貫はいずれも3本継である。島木はゆるやかに反る。柱は、上端に台輪があり、下部に向かって次第に太くなる。基部は埋め込まれている。
 この牛尾神社の鳥居は、桃山時代の造立銘を有し、県下の肥前鳥居の中でも造立年代の古いものの一つである。両柱には、次のような銘が陰刻されている。「肥前州小城郡牛尾山神宮寺奉納立石鳥居二柱国主大檀那 鍋嶋信濃守豊臣勝茂朝臣慶長二年丁酉卯月吉日」(願文・人名等略)
なお、この牛尾神社はかつては肥前国の修験の本拠地として栄えたところである。また、境内の梅林も名所として知られている。

 

佐賀県重要文化財 石造肥前鳥居 慶長七年の銘あり(せきぞうひぜんとりい けいちょう7ねんのめいあり)

昭和39年5月23日指定
神埼市神埼町神埼 櫛田宮
建造物


石造肥前鳥居 慶長七年の銘あり
 櫛田宮は、垂仁天皇あるいは景行天皇のころに創始されたと伝えられる古社であるが、その年代は明らかでない。
 この櫛田宮の石造鳥居は、高さ3.35m、笠木の長さ4.45mである。笠木・島木。柱・および貫はいずれも3本継である。島木は形式化して笠木と一体となり、木鼻はゆるやかに反る。柱は、上部に台輪があり、下部になるにつれて次第に太くなる。基部は埋め込まれている。額束は方形のはめ込みである。
 県内にはこのような地方色の強い、いわゆる石造肥前鳥居が広く分布しているが、この櫛田宮の鳥居は、慶長7年(1602)の造立銘を有している。「肥前國神埼村櫛田宮御宝前奉納立石鳥居当郡主 従五位下鍋嶋守信濃守 豊臣勝茂朝臣慶長七年千寅三月吉日誌焉」(願文・人名等略)

 

 

 

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