昭和40年7月23日指定
嬉野市塩田町大字谷所 八天神社
建造物
八天神社は、八天狗社、あるいは唐船権現とも称され、古くは修験の坊として創始されたものと伝えられている。近世には火の神として、肥前国内で篤く信仰されていた。
この石橋は、八天神社の神橋として、当時在住の石工が、嘉永5年(1852)に着工し、嘉永7年に完成させたものである。一連のアーチ形の眼鏡橋であり、全長11.14m、幅3.69m、高さ4.65m。橋の両側に、高さ0.7mの欄干が付き、舗道にはゆるやかな曲線をえがいている。
このような眼鏡橋とよばれているアーチ形の石橋は、興福寺の僧黙子如定が、寛永12年(1635)長崎に築いたのが始まりとされており、その後、九州各地に広まった。長崎県や熊本県には現在も数多く残存しているが、佐賀県には大変少なく、江戸時代のものでほぼ原型を保っているのは、この八天神社のものだけである。