昭和34年3月20日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料
多久町字山崎の山崎山南側斜面に築造された経塚からの出土品で、銅製経筒・陶製外筒・台石各1のほかガラス製小玉85・経筒内出土炭化物1からなる。
昭和32年11月、みかん園造成中に発見された。経塚の構造は、地表から約90cm掘り下げ、その下の岩盤を長径46cmの楕円形に約30cmほど掘りくぼませた穴底に平石を据え、その上に経筒を置いて甕をかぶせて保護した後、甕の周囲を木炭で充満し、その上に30cm大までの石を100個余り積んだものである。
銅製経筒は総高26.8cmで、蓋と筒身は鋳造品である。底部は身の外開きの下端と草花双雀鏡を底板として鋲留めしている。上方と中央に節をもつ筒身には「天治元年十月一日 橘国未并染嶋氏」の毛彫銘がある。宝珠形つまみのある蓋の外縁には6個の小孔があり、ガラス小玉は瓔落の玉であろう。
陶製外筒に用いられた容器は丸底の須恵器甕である。