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県指定(考古資料の部)01

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佐賀県重要文化財(考古資料)の部 

 

佐賀県重要文化財 三津出土明光鏡(みつしゅつどめいこうきょう)

昭和28年11月3日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料 


三津出土明光鏡
 昭和17年末、神埼郡吉野ヶ里町三津の開墾中に弥生時代後期と推定される甕棺墓から出土したものである。
 面径9.2cm、鏡面側が白銅色で、遺存状態の良い漢式鏡である。鏡背面の主文帯は、鈕のまわりに連弧文帯とさらにその外側に櫛歯文帯、そして中心となる銘文を配置し、再び櫛歯文帯で終わる。
 銘文は「内清質以昭明 光 象夫日月 心忽揚而願忠 然雍塞而不泄」と読める。

 

 

 

佐賀県重要文化財 杵島郡大町町大谷口仏法堤経塚出土品(きしまぐんおおまちまちおおたにぐちぶっぽうつつみきょうづかしゅつどひん)

昭和33年1月23日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


杵島郡大町町大谷口仏法堤経塚出土品
 昭和10年杵島砿業所の拡張工事中に発見されたもので、経塚の構造等は不明である。経筒身部の線彫銘によって、平安時代後期の嘉保3年(1096)に埋納された経筒であることが知られる。
 外筒は滑石製で蓋を失っている。外周には文様のように整形のノミ痕が12段残っている。
 銅製経筒は鋳造製の太身円筒形の有節経筒で、底部は銅板を4カ所で鋲留し平底である。蓋を含めた総高29cm、胴中央で径12.8cm。宝珠形のつまみがついた笠形の蓋の縁には瓔落を吊すための小孔が4個ある。

 

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 多久市多久町山崎経塚出土品(たくしたくまちやまさききょうづかしゅつどひん)

昭和34年3月20日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


多久市多久町山崎経塚出土品
 多久町字山崎の山崎山南側斜面に築造された経塚からの出土品で、銅製経筒・陶製外筒・台石各1のほかガラス製小玉85・経筒内出土炭化物1からなる。
 昭和32年11月、みかん園造成中に発見された。経塚の構造は、地表から約90cm掘り下げ、その下の岩盤を長径46cmの楕円形に約30cmほど掘りくぼませた穴底に平石を据え、その上に経筒を置いて甕をかぶせて保護した後、甕の周囲を木炭で充満し、その上に30cm大までの石を100個余り積んだものである。
 銅製経筒は総高26.8cmで、蓋と筒身は鋳造品である。底部は身の外開きの下端と草花双雀鏡を底板として鋲留めしている。上方と中央に節をもつ筒身には「天治元年十月一日 橘国未并染嶋氏」の毛彫銘がある。宝珠形つまみのある蓋の外縁には6個の小孔があり、ガラス小玉は瓔落の玉であろう。
 陶製外筒に用いられた容器は丸底の須恵器甕である。

 

 

 

佐賀県重要文化財 関行丸古墳出土遺物(せきぎょうまるこふんしゅつどいぶつ)

昭和48年4月23日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


関行丸古墳出土遺物
 関行丸古墳は、佐賀市久保泉町川久保にある全長55mの前方後円墳である。昭和32年に佐賀県教育委員会と九州大学考古学資料室により調査が実施された。関行丸古墳の石室内は板状の仕切石で3つの屍床を作っている。
 第1屍床からは熟年~老年男性の人骨とともに方格規矩鏡(径101cm)、歩揺と魚形を取り付けた金銅製装飾具1双1具などが出土した。奥壁に接した第2屍床からは若年1体以上と珠文鏡(径7.3cm)、金銅製冠片・貝輪・刀子・尖頭工具が、第3屍床からは熟年~老人人骨と20歳位の男性人骨、変形文鏡(径7.6cm)・珠文鏡(径8.8cm)・勾玉・棗玉・管玉・ガラス小玉・貝輪・刀子・鏃・鞘尻状金具が出土した。石室前半からは馬具類が、羨道閉塞石近くからは大形の三環鈴が出土した。
 本古墳は出土遺物から見て紀元500年前後に築造・埋葬されたものと考えられる。

 

 

 

佐賀県重要文化財 相知町せせり谷経塚出土品(おうちちょうせせりだにきょうづかしゅつどひん) 

昭和49年2月25日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


相知町せせり谷経塚出土品
 唐津市相知町大野字せせり谷にあった経塚から出土した銅板鋲留の円筒式経筒と紙本経・滑石製外筒である。経文の奥書から天永4年(1113)に造営された経塚とわかる。
 経塚は、せせり谷丘陵上の小型前方後円墳の後円部封土端に造営され、円形土坑の底に台石を据え、外筒の中に経筒を納めていた。
 銅製経筒は筒身高23.1cm、径8.1cm。蓋は高さ2.9cm、径13cmで、平面四花形の花弁の境に瓔落を吊す小孔がある。
 滑石製外筒は出土時に破損したが、本来方形の蓋がかぶっていた。身高37.5センチメートルで、上端に一対の把手がつく。
 紙本経は無量義経、妙法蓮華経(8巻)、観音賢経の計10巻を朱と墨で書写したもので、奥書に永厳・コウ?尊なる2名の僧が天永3年11月16日から正月20日までかけて写経にあたり、後世を願ってこの経塚を造営したことを記している。

 

 

 

佐賀県重要文化財 銅戈(どうか)

昭和52年3月11日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


銅戈
 この銅戈は、佐賀市大和町に所在する尼寺一本松遺跡において、大正8年(1919)に個人が自宅の庭園を拡張中に偶然発見されたものである。当時の状況を見ると、地表下約60cmのところに、切先を北に向け水平な状態でおかれていたという。
 大きな欠損はなく、ほぼ完形であるが、全体的に刃こぼれが著しい。
 全長39.3cm、樋には両面とも綾杉文が比較的明瞭に陽刻され、基部には台形の孔をもつ。胡(こ)はあまり延びず短い。茎(なかご)は小さくて薄く、両面に五重の弧文を鋳出している。銅質はあまりよくない。
 銅戈の形式としては中広形に属し、弥生時代後期の製作と推定される。

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 銅鉾(どうほこ)

昭和52年3月11日指定
武雄市武雄町大字武雄(武雄市図書館・歴史資料館)
考古資料


銅鉾
 六角川上流域の武雄市橘町大字永島字北上野の谷水田に所在する玉江遺跡から、昭和63年に発見されたものである。弓野人形に用いる粘土採掘中に地表下約80cmの深さのところにこぶし大の礫敷きがあり、銅鉾はその直上から出土したと伝えられる。
 銅鉾は中央で折れているが、ほぼ完形である。全長80.4cm。銅質は良好で、保存状態も良い。
 この銅鉾は中広形に属し、弥生時代後期の製作と推定される。

 

 

 

 

 

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