県指定(美術工芸品の部)06 最終更新日:2023年8月28日 佐賀県重要文化財(美術工芸品)の部 佐賀県重要文化財 銅造菩薩形坐像(どうぞうぼさつぎょうざぞう) 昭和60年3月20日指定 佐賀市城内一丁目15-23(県立博物館) 彫刻 鹿島3代藩主鍋島直朝が延宝5年(1677)に開基した黄檗宗寺院円福山普明寺に伝わる。 像高は、65.8cm。 高麗時代の豊かな芸術性と、それを裏打ちする確かな技術を偲ばせている。 佐賀県重要文化財 太刀(銘備州長船康光 應永卅年三月日)(たち(めいびしゅうおさふねやすみつ 応永30ねん3がっぴ)) 昭和61年3月19日指定 鹿島市古枝乙(祐徳博物館) 工芸品 康光は備前景秀の子孫の3代重吉の子で右衛門尉康光と称した。この太刀を彼の晩年の応永30年(1423)の作で、腰反り先反りの姿や鍛・刃文に応永備前の特色がよく現れており、彼の典型的な作品の一つである。鹿島8代藩主鍋島直宣の長男で長嶋家に入った永貞の佩刀といわれ、長さ81.1cm、反り3.3cm.。 佐賀県重要文化財 木造神像及び仏像(もくぞうしんぞうおよびぼさつ) 平成元年3月27日指定 嬉野市嬉野町大字吉田甲両岩 両岩神社 彫刻 如来像2躯、菩薩像1躯、神像2がある。いずれも樟材を用い、内刳りを施さない一木造りで、法量は如来像のうち1躯が89.5cm、他の4躯はほぼ70cm前後である。これら5躯は両岩神社に古くから伝わるものであり、推定製作年代は平安時代後期である。 佐賀県重要文化財 涛・日輪文打出五枚胴具足(なみ・にちりんもんうちだしごまいぐそく) 平成元年年3月27日指定 佐賀市城内一丁目15-23(県立博物館) 工芸品 鍋島藩主4代吉茂のお抱え甲胄師であった宮田家5代勝貞の作で、諫早藩主鍋島家伝来と伝えられる。亨保3年(1718)、彼65才の技量した時期の作品である。 佐賀県重要文化財 絹本着色閑室元佶像(けんぽんちゃくしょくかんしつげんきつぞう) 平成3年3月30日指定 小城市小城町池上門前 三岳寺 絵画 元佶(1548~1612)は小城出身の禅僧で、足利学校代9代庠主(学長)となった後、徳川家康の政治・学問の顧問的存在として重要され、また関ヶ原の戦いでは西軍に組して敗れた鍋島家を家康にとりなすのに働いた人物として知られる。この頂相は元佶が没した慶長17年(1612)頃の作と推定される。縦125.6cm、横54.4cmの絹本で、袈裟を着け、右手に払子、左手首に数珠を下げ斜め左向きに椅子に座した元佶を描く。 佐賀県重要文化財 黒麻地二十五条袈裟 以亨得謙所用(くろあさじにじゅうごじょうけさ いこうとくけんしょよう) 平成4年5月27日指定 佐賀市城内一丁目15-23(県立博物館) 工芸品 黒染、麻製の二十五条割載衣である。縦100.5cm、横276.5cm、縫い方は黄色の絹糸で、各段隔ごとに黒染めしたL字型の裂の縦葉と横葉を続けて返し縫いしており、表の糸目は点線、裏の糸目は鎖縫い風となっている。 中国で元時代に製作されたものと考えられる。また、銘の「悚牧」は萬歳寺に住した以亨得謙の道号「嬾牧」を意味することから、この袈裟は以亨得謙の所用であることが明らかである。 佐賀県重要文化財 千栗八幡宮縁起絵(ちりくはちまんぐうえんぎえ) 平成5年3月31日指定 三養基郡みやき町大字白壁千栗 千栗八幡宮 絵画 千栗八幡宮は神亀元年(724)に肥前国養父郡郡司壬生春成が創建したと伝えられ、肥前における八幡信仰の中心的存在である。本図は、2幅からなり、1幅は応神天皇の母神功皇后の三韓出兵と応神天皇の出生までのいわゆる八幡縁起、もう1幅には千栗八幡宮の境内図と壬生春成の草創縁起が描かれている。制作時期については、境内図の建物景観の考証から、1589年から1595年までの間と推定できる。 クイックメニュー