昭和25年8月29日指定
神埼郡吉野ヶ里町田手 東妙寺
書跡・典籍
懐良親王(1329~1383)は後醍醐天皇の皇子で、九州南北朝期の南朝の中心的人物である。天皇が親王を九州に派遣してから肥後の菊池氏に守られて所々に転戦、一時全盛を築いたが、天授3年(1377)佐賀北部の千布・蜷打付近で武家方と合戦して敗れた。この梵網経は、その翌年親王が母霊照院禅尼の菩提をとむらうために納められたものである。梵網経は仏となるための戒律について書かれた経文で、この中には孝行心についても書かれている。本経は親王自身の写経で一字一字しっかりと書かれている。120cm×1077cm。