昭和33年1月23日指定
佐賀市大和町大字川上字大願寺
古代寺院
佐賀市大和町大願寺地区の五社明神を中心とする一帯にあって、文献記録に登場しない奈良時代の寺院である。
現存する遺構は五社明神境内に建物基壇が残り、礎石約50個がおよそ4地区に分散している。その範囲はほぼ2町四方(約200m四方)で布目瓦の散布も同じ範囲であることから肥前国分寺と同等の規模をもつものと推定される。伽藍配置は明らかでないが、五社明神地区に柱座の造り出しをもつ礎石が多く、基壇が存在することからこの地区に中心的な建物である金堂または講堂が、その東方約180mに東門に関係すると思われる2孔を穿った礎石1個が残存する。
これまで出土した瓦には寺浦廃寺や基肄城と同笵(どうはん)の瓦がみられる。また、千葉県で出土した宝亀五年銘鐘に記された「佐賀郡椅寺」に当たるという説もある。