昭和49年2月25日指定
三養基郡みやき町大字簑原
古墳・墓地
脊振山系の支峰、石峰山から延びる標高約55mの段丘上に立地する。弥生時代から古墳時代にかけての墳墓である。この遺跡からは、弥生中期から後期の甕棺墓約400基・土壙墓8基、後期から古墳時代初頭の箱式石棺墓32基、古墳時代初頭の古墳2基・方形周溝墓1基などが発見され、墓制変遷を知る上で重要な遺跡である。
このうち、雌塚・方形周溝墓・環状列石土壙墓の3カ所が保存されている。
雌塚は直径32m、高さ35m余りの円墳で、礫槨墓を内部主体とする。方形周溝墓は南北14m、東西15m。内部主体は不明である。環状列石土壙墓は、直径20~50cm程の礫を1メートル幅で環状に配したもので直径は2.9~3.5m、中央に土壙墓が設けられている。