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最近の調査概要

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志波屋(しわや)四の坪地区2区 発掘調査の概要

 

 志波屋四の坪地区2区は、神埼市志波屋字四の坪に所在します。地形的には、吉野ヶ里遺跡が展開する志波屋・吉野ヶ里段丘上に位置し、東側は田手川に向かって緩やかに傾斜しています。
 この地区は、国営吉野ヶ里歴史公園の北部に位置する「古代の森ゾーン」の一部として、整備を行う前の発掘調査を平成16年から平成23年まで行いました。
 調査の結果、弥生時代の集落と墓地、古墳時代の集落と墓地、古代~中世の集落、墓地等を確認しました。検出した遺構は、弥生時代の甕棺墓313基、弥生時代・古墳時代・奈良時代の竪穴建物跡105棟、弥生時代・古墳時代・古代の掘立柱建物跡11棟、写真:調査区の遠景弥生時代~古代の土坑146基、弥生時代の石棺墓1基、弥生時代~中世の土坑墓36基、古墳時代~古代の溝跡、性格不明遺構、小穴などです。
 旧石器時代・縄文時代の遺構は確認されていませんが、表土から旧石器時代のナイフ形石器や、縄文時代の特徴的な石鏃などが少量出土しています。後期旧石器時代後半~縄文時代にかけて、何らかの人間活動が行われていたと考えられますが、本格的な利用は弥生時代から始まります。

  

  各時期の詳細については、以下のリンクをご覧ください。

 

 東墳丘墓(杉籠地区3区) 発掘調査の概要 

 

 東墳丘墓(杉籠地区3区)は、吉野ヶ里町大字田手字杉籠に所在します。この地区は、吉野ヶ里遺跡の南東部にあたり、田手川の東岸に立地しています。

 この地区の東部には、南北約60m、東西約35m、高さ約5mの不定形な独立丘陵状の高まり(標高約18m)があります。この高まりについては、平成元(1989)年頃から、調査員らにより甕棺の破片等が拾われていました。また、遺跡北部の吉野ヶ里丘陵地区5区で発見された北墳丘墓、遺跡南部の田手一本黒木地区1区で確認された祭壇(南墳丘墓)と形や大きさが似ていることから、「東墳丘墓」と名付けられ、弥生時代の墳丘墓である可能性が考えられていました。

  この地区が整備されることとなり、工事に先立ち、東墳丘墓の性格を明らかにするため、平成23年12月から平成24年9月まで発掘調査を行いました。

 

 発掘調査の詳細については、以下のリンクををご覧ください 。

 


 

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