通称「九年庵」は、明治期の実業家伊丹文右衛門とその息子弥太郎が築造した別邸で、その庭園は福岡県久留米市の作庭家、誓行寺の阿(ほとり)和尚が、明治33(1900)年から約9年の歳月をかけて築庭した。その後、昭和35(1960)年に月星ゴム株式会社の創始者である倉田泰蔵が入手し、奈良国立文化財研究所建造物室長であった森蘊の監修のもと、庭園の造作と建物の改修を行った。
庭園は、旧寺院跡の敷地を継承し、上下二段に書院、茶室、池庭、平庭を巧みに配し、石・樹木・水の自然の良さを存分に発揮させるとともに、眼下に筑紫平野、さらには有明海が眺望できる借景庭園でもある。
建物は、庭園に先立ち、明治25(1892)年に完成し、数寄屋造構造をとる。外観は、杉腰板張り土壁、竹格子連子窓、丸竹濡縁など野趣に富み、内部は、質素ながら十分に吟味された素材意匠をもつ。また、大正九年に「九年庵」の扁額をもつ茶室(現在は土台のみ残る)が建築された。